聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争
52(2)『血の街路/2』
同日西門街路及び〈バーマイスター・シュトラッセ〉/王国自由都市ケルバー
リグミシャスの通報を受けた第一大隊本部は、事前計画に従って霊媒による精神連結で義勇砲兵連隊に支援射撃を要請した。大隊本部に配分されている火力観測班は前線の状況を見渡し、必要な《竜砲》は六門だと決定した。
「第二大隊第一中隊を寄越せ、迅速試射だ。現在位置〈バーマイスター・シュトラッセ〉第一観測点。目標、観測基準点より北へ一二〇。風向北西より風力二。敵兵との離隔距離は陣前四〇。こちらは修正可能。急げ」
火力観測班将校――ロイフェンブルグ市衛軍将校は、霊媒越しにシュロスキルへに展開する《竜砲》第二大隊本部に目標座標を報告する。即座に霊媒を通じて返答される。
「了解。復唱。目標座標第一基準点より北へ一二〇。風向北西、風力二。敵兵との離隔距離四〇。……照準変更よろし。試射初弾――発射した」
わずかに遅れて、《竜砲》の発射音が観測班の壕に到達する。砲弾が空気を切り裂いて落下する音がした瞬間、〈バーマイスター・シュトラッセ〉の一画、立ち並ぶ商家の一つが崩落した。瓦礫が飛び散り、ブレダ兵の一部が倒れ伏す。遠眼鏡でそれを眺めていた観測班将校は溜息混じりに告げた。初弾命中というわけはいかんか。当たり前だが。
「観測班から第一中隊、弾着確認。商家一つを完璧に粉砕した。修正、基準点より近弾。上げ一〇。西へ三〇振れ」
修正射が到達したのは二分後だった。試射を受けて浮足立ったブレダ兵は、突撃の勢いがわずかに衰えている。まさか城内にまで砲撃が行われるとは思いもしなかったのだろう。
第二射は、〈バーマイスター・シュトラッセ〉のほぼ中央に命中した。石弾ではなく、鉄の砲弾は猛烈な落下速度を得て石畳に突き刺さった。衝撃を受けて粉砕された石畳の破片は凄まじい勢いで四方八方に散らばり、土嚢の陰で突撃準備を整えていたブレダ兵たちを土嚢ごと薙ぎ倒す。粉塵が収まった時、そこに残ったのは呻き声を挙げて助けを求める兵士の残骸だった。石畳の破片が腹部に突き刺さっている遺体もある。その惨状を見た観測班将校は錬金術師としての満足感だけを口許に浮かべつつ霊媒に命じた。
「観測班から第一中隊、弾着を確認。目標へ命中。繰り返す、目標への命中を確認。観測班は一〇分間の効力射を要求する」
「了解。効力射を開始する」
「観測班は第一大隊に同行、第一予備防衛線へ後退する」
「了解。幸運を祈る」
「ありがとう。連結を終える」
観測班将校は、部下に後退を命じつつ、再び霊媒に命じた。
「後退支援の砲撃は一〇分。大隊本部に急ぐよう伝えてくれ」
彼の言葉に応えるより早く、シュロスキルへから連続した砲声が響いた。
第一大隊本部脇に待機する喇叭手が三度号吹した。後退命令だ。ジャクリーンは斧を掲げ、怒鳴るように命じた。
「よーし、坊やたち! 後退だ! 予備陣地へ下がるよ! 負傷者はもちろん、戦友の遺体も置いていっちゃあいけないよ!!」
《竜砲》第一中隊の砲撃が到達する。六門の《竜砲》が《バーマイスター・シュトラッセ》に叩き付けらた。ちょうど第一八胸甲槍兵騎士団第一旅団の最前縁直後、突撃準備を整えつつある兵どもが密集する辺りだった。弾着と同時に悲鳴と断末魔が挙がり、しばらくすると泣き声と助けを求める声だけになる。
その声もわずかな間を置いて降りかかる次の弾着音に掻き消されてしまう。
《竜砲》の砲撃は、都合よくブレダ兵だけを吹き飛ばしているわけではない。その周辺の建造物すら巻き込んでしまう。風や炸薬の燃焼、あるいは偶然といった幾多もの悪戯のせいだ。つい一週間前までは、市民たちの生活の場であった家々が躊躇いもなく破壊されていく。
ジャクリーンは後退を指揮しつつ、その情景をちらりと見た。顔をしかめる。ろくな戦いではないと思う。都市内部での粘り強い防戦! なるほど、あの人形のような指揮官殿がいう“粘り強い防戦”とはこのことなのか。冗談じゃないよ、まったく。市民の暮らしをぶち壊してまで戦うことにどんな意義があるというのさ!!
西門街路にブレダ軍弩弓兵中隊が布陣し、射撃戦を開始する。
狙いなどつけてはいない。ただ、短時間のうちに大量の矢を射掛けるようにしている。それで良かった。彼らは射撃戦でケルバー市民軍を後退させられるとは思っていない(たかが市民軍という侮りは、ここ二日の戦闘で吹き飛んでしまった)。本命は傭兵たちによる迂回襲撃。それで敵が崩れたら本隊は突撃。かなうならば追撃し、殲滅する。ともかく、内部に可能な限り食い込まねばならない。橋頭堡を確立すれば、この戦いは決まったも同然だから。
既にヴェリク率いる二個小隊は、射撃戦開始と同時に迂回を始めている。迅速に、しかし慎重に裏路地を進む。遅すぎては意味がない。しかし急ぎすぎて迂回がばれたら、すぐに撃退されてしまう。狭い裏路地であの“杖”を使われたら逃げ場がない。
ヴェリクは彼の中隊で最も鼻が利く(感覚の鋭い)兵士を前衛に立て、進ませていた。指揮官の――というより傭兵隊長として当然の判断として、彼自身はその直後。縦隊を組んだ五〇名ほどの傭兵が続き、最後尾には腕の立つ兵士が後衛として続く。甲高い爆発音が近づきつつある。杖の発する音だ。ヴェリクは前衛に声を掛けた。
「近いぞ」
「その先の角を曲がれば、連中の陣地の後方に出るはずです」
前衛は手書きの地図を取り出しながら囁くように答えた。ヴェリクは先頭に立ち、角にひそむと、懐から薄汚れた手鏡を出し、ほんの少しだけそれを角から出した。すぐに引っ込める。敵の姿はない。つまり陣地の後方だ。「よし、着いたぞ」
ヴェリクはゆっくりと抜刀した。杖声が轟く中、鞘走りの音など聞き取られるはずはないが、彼はどんなことも――それが戦いに関することならば――ないがしろにせぬ性格であった。
隊長の動作に続く六〇名の傭兵たち。ヴェリクは笑みを浮かべ、命じた。
「喚声なんて必要ないぞ。無音で襲撃する。突撃準備!」
ブレダ軍が盲打ちに近い射撃戦を開始して一〇分ほどが経過している。テリーはその真意がわからない。被害は、不運な流矢で死んだ三名の兵を除けばいない。盲打ちの効果といえば、土嚢からあまり顔を上げられないことぐらいだ。連中、やけくそになっているのかとしか理解できなかった。この調子ならまだ二日三日は持たせられるだろうな、と思う。
錬金術兵器は、これほどの威力がある。たとえ市民でも扱い方さえ理解すれば、絶大な威力を発揮する。いいぞ、いいぞ。見たか! これこそが錬金術だ!
戦争の雰囲気にあてられたとしか言い様のない心情のまま、テリーは小さく笑った。
つい先日、恐怖のあまり失禁してしまった錬金術師の姿はない。これが傭兵のいう戦度胸という奴だろうかと彼は思った。もちろん違う。それは精神の均衡が失われただけだった。テリーは、自分自身すら気づかぬ間に、ひっそりと錯乱していたのだった(他者はそれを、あるいは戦度胸と呼ぶかもしれないが)。
彼の傍らに常に控えている霊媒に告げる。
「大隊本部に連絡してくれ。至急弾薬の補給を頼むと。追伸、前線の保持にいささかの不安もなし。補給の続く限り持久する」
それは慢心だったのかもしれない。過信だったのかもしれない。だが、唐突に戦場に立つことになってしまった者が抱く感情としては至極真っ当なものであることは否定できない。
報いはすぐに来た。
精神連結を行おうとした霊媒が、精神集中に入ろうとした途端に顔をしかめた。この微かな意識の渦は何だろう。彼女は悩んだ。思念索敵をするべきだろうか。でも、まずはこの連絡を行わなくちゃ。
彼女の判断は当然のものだった(なにしろ命じられている)。霊媒という特殊な能力の持ち主であっても、彼女は未だ一五にもならぬ少女に過ぎない。
仕方がない。直後に訪れた悲劇は彼女のせいではない。
杖声が鳴り響くなか、さらに慎重を期すために喚声を挙げさせぬ突撃を命じたヴェリクの襲撃隊に、中隊の誰も気づきはしなかった。最初の悲鳴が挙がるまで彼らはただ土嚢に隠れながら射撃を行う弩弓兵への応射に熱中していた。
ヴェリクたちは後方から射列の左翼へ殴り込んだ。
背後からの奇襲に市民兵は為す術もなかった。最初の衝突で一挙に三〇名以上が斬殺された。市民兵に恐怖への耐性などない。あっという間に中隊は崩壊した。まだ中隊の三分の二が残っていたが、潰乱する。彼らは恐慌をあらわにして逃げ始めた。
テリーは周辺への警戒をおろそかにしていた自分へ怒りを抱きつつ、声を荒げて退却を食い止めようと命じる。無駄なことだった。市民兵は元より錬金術兵器の圧倒的優位の中で戦意を保っていたに過ぎない。それが霧散すれば、ただの市民なのだ。
「くそっ! 君、大隊本部へ即時伝達! 西門街路第一防衛線崩壊、予備陣地へ後退する。追撃の公算大! 援護を求める!」
テリーは自分の《雷の杖》に装填しつつ、霊媒に命じた。恐怖に震えながら少女は目を閉じた。テリーは逃げ惑う市民を追いかけて斬り捨てる傭兵がこちらに迫ってくるのを視界に捉えた。躊躇などなかった。構える。撃つ。胸元に拳大の空洞を開け、盛大な血飛沫を吹き上げて敵兵が倒れる。テリーは振り返り、血走った目で霊媒に訊ねた。
「伝えたか!?」
「はい!」
「よし、逃げろ! 予備陣地へ急げ!! 僕が援護する」
《雷の杖》に再装填。少女に追っ手が迫らぬよう、再び杖を構え、さらに迫り来る傭兵に放つ。二人目を射殺。ケルバー軍の射列が潰走したのを契機として、射撃戦を展開していたブレダ側陣地から喚声が挙がった。突撃だ。
くそっ、僕のせいだ! テリーは歯軋りを堪えるような表情を浮かべる。しかし、それ以上の自己批判を楽しむ時間など救世母は与えてくれなかった。霊媒の後退を援護したためか、取り残されたような形になった彼目掛けてブレダ傭兵が殺到してくる。もう杖に装填している時間はなかった。
テリーは腰に下げた《陽光の杖》を抜き、二発放った。さらに二名を撃ち倒す。それが限度だった。敵兵は目前。もはや杖で戦うべき距離ではない。
テリーは《雷の杖》を逆さに持ち替え、迫り来る傭兵に振り下ろした。硬質の木材で出来ている杖床で打ち据える。嫌な感触。首に食い込んでいる。傭兵の頭部が信じられない角度で傾いでいた。頚椎を砕いた感触は余りにも気色悪かった。だが彼はそれに頓着しなかった。意志と義務感、あるいは自尊心、自棄、あらゆるものがないまぜとなった意識が沸騰し、彼を狂戦士のように戦わせた。それは本来、戦士ではなかった彼を自暴的な戦闘に立ち向かわせる。
技術の粋を集めたものであるはずの《雷の杖》を、原始的な武器へと変えてテリーは傭兵との殴り合いを演じる。さらに二人を撲殺したところで杖の杖床は砕け、使い物にならなくなった。ささくれには脳味噌の欠片がこびりついてさえいた。まるでそれが切っ掛けだったように、テリーは応戦を止めた。
ひどい姿だった。返り血まみれの彼の顔は恐怖と殺意で引きつっている。ティナがこの時の彼を見たなら、きっとテリーだとは思わなかっただろう。気弱なはずの青年の今の姿は――いや表情は――、それほどのものだった。
彼にとって幸いだったのは、変わってしまった彼の姿を、ティナ・グレースが見ることはなかったことだろう。
突撃してきたブレダ兵たちが惚けたように立つ彼を幾つもの長剣と槍で突き刺した。
痛みはなかった。猛烈な熱さだけを感じた。喉元を液体が込み上げる。鮮血。
いい、テリー? 肺が傷ついた人は深紅の血、お腹が傷ついた人は黒い血を吐血するの。深紅の血の時は危ないわ。忘れないでね――。
ふとティナが教えてくれた療務知識を思い出す。はは。肺をやられちゃったのか。意識が揺らぐ。視界が暗く狭まっていく。畜生、僕は、なんで、ティ……。
彼が最後に耳にしたのは、慣れ親しんだ《竜砲》の砲声だった。その咆哮から、砲弾はここを直撃することがわかった。それは彼が霊媒を通じて頼んだ“援護”に応えてのものだった。ブレダの追撃を食い止めるためのそれで、辺り一帯に砲弾が降り注いでいく。素早く退却していればまさにその通りになっただろう。
テリー・ラピスブルグは、満足な死体を残さずに死んだ。
ケルバー防衛軍はヴェリクによって行われた迂回襲撃によって西方第一防衛線を打ち破られはしたものの、緊急に行われた《竜砲》の砲撃によって追撃を阻むことに成功した。ラピスブルグ中隊の半数は第一防衛線予備陣地に収容された(もちろん霊媒も含まれていた)。エンノイアにとってそれは許容できる損害であった。まだ西門街路の四割を突破されたに過ぎないから。
第一大隊本部は、テリー・ラピスブルグについて簡潔に行方不明と報告した。死体が発見されていない以上、公式にはそういうことになる。報告を聞いたエンノイアはクリスティアにそう告げ、クリスティアはティナ・グレースにブレダ軍の捕虜になったのかも、と付け加えた。ティナにとってそれは気休めにもならなかった。
夕闇と同時に戦闘は終了した。
ブレダ中央進攻軍本営で報告を受けた後に個人天幕に戻ったライラは憤懣やる方なしといった表情を浮かべている。
「なんなのだ、この戦争は!」
天幕に呼ばれていたイディスは、上官にして友人である北方領姫の怒りを充分以上に理解していた。
「あの《竜砲》を自分たちの街の中でも使うだと!?」
「ライラ、落ち着いて」
柔らかくも芯のあるイディスの言葉に、ライラは大きく溜息をついて、それからわずかに恥じ入るように目許を赤く染めて頷いた。
「……ごめんなさい、イディス」
「構わないわ。あなたの怒りは当然ですから」
ライラは椅子に深く腰掛け、天を仰ぎながら目頭を押さえた。
「あと三日しかないのに、城門を突破して城内に小さな橋頭堡を築いただけ……」
彼女の呟きにイディスは応えた。
「仕方ないでしょう。ケルバーがこんな戦いをするだなんて誰も思いはしなかったのですから」
「仕方ないでは済まないのよ、宮廷では。あなただって知らないわけではないでしょう?」
ライラが顔を戻し、イディスを柔らかく睨んだ。そうだったわねとイディスは思った。ガイリング二世という希代のカリスマを国王として戴くブレダ王国だが、決して一枚岩というわけではない。旧態依然としたエステルランドに比べればましだが、やはり派閥争いは存在する。オクタール族の領袖というべきライラは、旧ハイデルランド公国勢力と旧ハウトリンゲン公国勢力にとって厄介な存在であった。
「三日ね」
「三日よ」
「……」
「イディス、忌憚のない意見を聞かせてくれるのでしょう?」
「わたしは難しいと思います。これまでと同じ日数配分で攻略できたとしても、橋頭堡拡張に三日、兵站調整に二日、城内突入に三日かかることになりますから。これだって、最良の場合の予測ですからさらに伸びる可能性があります」
「そうね」
「その場合の問題は《暴風》作戦で中央進攻軍に命じられている東方進攻軍への側面援護です。わたしの軍団がザール方面の敵軍の翼側を突くことになっていますが、ケルバー戦が継続される限りは、包囲の維持に傾注しなければなりません」
「……あなたならどうする、イディス?」
ライラは、机の上に開いたケルバーの地図をぼんやりと眺めつつ訊ねた。
「……重要なのはわたしの意見ではありません。ライラ、あなたはどうしたいのですか?」
「……」
「わたしに言えるのはただひとつ。あなたの命令ならば、わたしはどのようなものであっても従うということです」
イディスは真摯な表情のまま、ライラの横顔を見詰めた。ランプの明かりに彩られて、同性であっても魅入られるような造形の容貌が淡く浮かび上がっている。
「可能な限り、期限以内に攻略するわ。でも、もしそれが不可能だと判別したら」
「不可能ならば?」
「わたしは全力で以てこの好敵手と戦いたい」
つまり攻略するまで側面援護はしないということですね。イディスは胸の内で呟いた。それでこそあなた。それでこそ北方領姫。
「今日の戦いを見たでしょう、イディス。彼らの覚悟を。この街を、この街路を血で染め抜いてでも戦うと宣言しているのよ。そのような敵を相手に、軍を割いて戦うことなんて出来はしないわ。彼らが望むのならば、決戦を――いいえ、血戦を行うまでだわ」
「北方領姫万歳」
イディスはライラの言葉を受けて唐突に、小さく、鋭く、呟いた。ライラは驚いたように彼女を見詰めた。
「あなたがそのような覚悟を抱いて戦うというのならば、わたしは何度でもそう唱えて戦場に立つでしょう。無論兵士たちも同様に」
「ありがとう」
恥じ入るようにライラは微笑んだ。「ならば伝令を用意してちょうだい、イディス。計画の変更を従兄弟殿に伝える必要があるから」