聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争
48『竜の咆哮』
西方暦一〇六〇年五月六日王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部
霧の国の二つ名を持つエステルランドらしい朝であった。
地平線から大儀そうに姿を現した太陽が緩やかに、優しく地表を照らし始めようとしている。しかし、その輝きは弱々しい。霧が薄幕のように光の直進を拡散させているのだ。
静寂が相応しい情景であったが西方暦一〇六〇年五月六日の今日、そこに静かさは存在しなかった。多数の怒声と号令、囁き声、さらにはがちゃがちゃと物音がひっきりなしにしている。
霧の狭間に淡い人形の輪郭が動き回っている。その数は少なくない。
その騒音は、霧が引き始めるまで続いていた。
第六刻半。完全に太陽は地表から登場している。徐々に空気が暖かなものへと変わっていく。その温度に脅威を覚えたかのように霧は引きつつあった。そして、それは全貌を現した。
ブレダ中央進攻軍は、ケルバー城壁北大門を主攻正面として定め、そこに胸甲槍兵を配備した。北大門は城門として最も大きく、大部隊の通過が可能であるからだった(つまり迅速に部隊を城内へ流し込むことができる)。ライラは敵がそこに迫るブレダ軍に対して備えていることは充分承知していたが、やはりその利点を無視することができなかったのだった。
主攻正面の攻撃第一梯団は、《暴風》作戦のために新設されたモハレ・ランバート将軍率いる第二五北方領胸甲槍兵旅団。歩兵――胸甲槍兵を中心に若干の騎兵、弓兵を編成下に加えている攻城戦専門の部隊だ。傭兵将軍の麾下には、傭兵団を中核とした(中には〈朱紅旗〉騎士団から派遣された部隊もある)胸甲槍兵が組み込まれている。
攻城戦を得意とする彼らは同時に傭兵部隊でもあるため、第一梯団に指定された。先鋒は大被害を受けるからである。傭兵ならば使い潰したところで問題はない。ライラは兵を労る指揮官であるとともに、冷徹な作戦家でもあった。
第二五北方領胸甲槍兵旅団の前面には、独立胸甲槍兵大隊の援護を受けた二個独立重弓兵中隊が布陣している。彼らは戦闘開始と同時に推進し、ケルバー堡塁上に置かれた攻城弩弓を撃破することを任務としていた。攻城弩弓を撃破した後は、城壁上の射撃点を順次破壊、胸甲槍兵を援護する。
第二五北方領胸甲槍兵旅団の後方には、第二梯団として第一八北方領胸甲槍兵騎士団(第四親衛騎兵軍団)が待機している。彼らは第一梯団が城門を突破した後、都市内へ突入し橋頭保を確保することが任務であった。
もちろん攻撃は北からだけではない。敵戦力を吸引するため、陽動攻撃として西からも第四親衛騎兵軍団の各騎士団から抽出して統合した戦隊(増強胸甲槍兵連隊)が攻撃を行う。
進攻軍統帥部は、城門突破までに最悪二日、橋頭保確保はさらに一日を必要とするだろうと計算していた。
彼らは三日以内に兵を都市内部へ流し込むつもりであった。使用兵力はおよそ三万。不可能ではない――いや、妥当な目標設定であった。ブレダ兵どもは、いとも簡単にこの街を征服できるだろうと思い込んでいた。
軍司令部天幕のそばにある丘で、ライラは遠眼鏡を構えている。まずは隊形を整えている旅団の様子。それから遠くにあるケルバーの城壁へ。大きな動きはない。翩翻とケルバーの都旗が掲揚されている物見塔には兵士の影。城壁に蜂の巣のように覗く射穴にも弓兵が見える。城壁の外、水壕の内側の人工的な丘――堡塁上には射撃準備を整えている攻城弩弓が堡塁一つにつき二門(北大門前には合計四門)。一応の防御準備は整えているようだが、第一梯団八〇〇〇名に対するには不足しているように見える。しかし慌てた様子はない。それが彼女には不思議だった。
カースウッドが歩み寄り、彼女の後ろで控えた。報告する。
「ランバート将軍より連絡です。攻撃準備完了しました」
ライラは遠眼鏡を下ろした。胸の奥で芽生えた疑問と不安を無視して、頷いた。
「よろしい。攻撃前進を開始せよ」
「御意」
カースウッドは本部天幕へ手を振る。司令部付き喇叭手が長管喇叭を吹いた。特徴的な音色の号吹が平野を響き渡る。しばし間を置き、第二五旅団と第一八騎士団が布陣する辺りから二つの号吹が吹かれた。各部隊からの応答であった。
その響きをモハレも聞き取った。
「喇叭手、応答号吹。軍師長、征くぞ」
「はい、閣下」
「よろしい! 第二五旅団前へ。敵を撃砕せよ!!」
再び喇叭手が音色を変え号吹する。
今度は麾下の連隊から次々と応答号吹。それに続く槍兵どもの鯨波の声。モハレは微笑んだ。兵の士気に問題はない。
中隊長、大隊長、連隊長が長剣を鞘から抜き放ち、ケルバーへ向ける。彼らは次々と命じた。
「攻撃前進、前へ!」
兵どもは歩調を合わせ前進を開始した。旅団軍楽隊が吹奏するブレダ騎兵軍進軍歌によって歩調が同調する。旅団は一糸乱れぬ隊形を維持したまま突撃開始線――前面一キロへと向かう。そこはケルバーからの攻城弩弓射程の外であった。
この時代、攻城戦における攻撃力と防御力の関係は後者の優位にある。城壁を破砕する攻撃力は攻城弩弓と投射器にしかなく、その攻城兵器はけして効率のよい武器ではないからだ。
そのため、攻城戦に突入した場合は武力による直接攻撃ではなく長期包囲による兵糧攻め――間接的攻略か、損害を無視して大軍で突撃する人海戦術の二種しかなかった。これは双方ともに攻撃側に対し被害を生じさせる。長期包囲は時間を浪費させ、人海戦術は兵力を浪費させる。つまり戦機と戦力を失わせる。その一点において、要塞――城塞都市には価値が生まれる訳である。
当世随一の攻城戦専門家と言ってもいいモハレは、その点を熟知していた。そして、時間と人命を浪費せずに済む戦術を考え続けてきた。今日はその戦術を試せる。優れた兵と、支援を得て。だからこそブレダ王国に傭われたのだ。
己の軍才を縦横無尽に活かすべく。
進軍歌はきっかり七巡り分吹奏された。隊列を維持したまま、第二五旅団は突撃開始線に到達した。停止する。その脇を独立重弓兵中隊が推進していく。ケルバー堡塁上の攻城弩弓を射程に収めると、即座に射撃準備を開始した。最初の攻撃は彼らが行うことになっている。
射撃準備完成の報告を受けた重弓兵中隊指揮官は頷き、目標を長剣で指し示した。堡塁。六門の攻城弩弓が目標に向けられる。
「放てぇっ!!」
ケルバー攻防戦が開幕した。
シュロスキルへ司令部(霊媒統制室)でエンノイア・バラードは物見塔からの報告によって刻一刻迫り来る戦図上の赤い駒をじっと見詰めている。ブレダ軍は城壁から一キロの辺りで進軍を停止している。一部の部隊――攻城弩弓部隊がさらに推進し、堡塁上の攻城弩弓への射撃が開始されていた。
別に構わない、とエンノイアは思っている。もともと攻城弩弓は抗戦意志を示すためだけに配置させただけだ。部隊にも「適当に応射した後は城内へ後退せよ」と命じてある。
問題は攻撃本隊である。突撃開始線に到達したのは旅団規模。その後方に、一個騎士団規模の胸甲槍兵が控えている。主攻正面に二万。西側にも連隊規模の兵が前進してきている(まあ、そちらは陽動だろうが)。豪勢なことだと彼は思った。これほどの大軍を敵に廻して戦ったことなど、聖救世騎士時代にもなかった。
二〇分後、堡塁上の攻城弩弓部隊が後退した。推進してきた敵重弓兵の射撃が本格化したらしい。指揮官は即座に兵を退き、城内に収容させた。攻城弩弓は破壊された。予定通りである。五分後、攻撃本隊が前進を開始したとの報告が入る。前面に弓兵を配置という報告を聞き、エンノイアは眉をひそめた。通常の攻城戦術であれば重歩兵(重装甲の歩兵)を先頭に立てるものだが。いや、もはや関係ないかとエンノイアは首を振り、義勇砲兵連隊指揮所と精神連結を行っている霊媒に命じた。
「旅団長より義勇砲兵連隊へ命令。北方前面に接近しつつある敵兵力に対し砲門を開け。繰り返す。火力により敵兵力を殲滅せよ。司令部より別命あるまで射撃を継続!」
クリスティア・ロッフェルン・バレルシュミットは待ちに待った命令を得て、即座に射撃準備命令を下達した。物見塔に分散配置させている前線観測班と霊媒連絡を取り、標定を行う。
彼女が率いる義勇砲兵連隊――ロイフェンブルグ市衛軍第二《竜砲》連隊は、ケルバーで最も高地にあるシュロスキルへ周辺の敷地に砲列を敷いていた。迅速な配置転換が可能であるように輓馬も常に用意されている。弾薬庫もシュロスキルへ周辺の地下倉庫を利用していた。この《城教会》は実に理想的な火力陣地でもあった。
「標定座標エルザ、フェリラ、ゲルダ基準点より三〇〇近に弓兵大隊横列!」
観測班からの報告を受け、各砲兵大隊指揮官が指向方向、仰角について指示を下す。ブレダが来寇してくるまでの間に、火制区域の測量や弾道計算、必要装薬量の算定は済んでいる。火制区域内に進入してきた敵部隊に対し、試射は必要なかった。
「各大隊、射撃準備よろし!」
指示棒替わりに己の腰に携えていた《雷の杖》を掲げたクリスティアは、裂帛の号令と同時に杖を振り下ろした。。
「撃ち方始め!」
「てぇーっ!!」
砲に取り付いた兵士どもが、一斉に着火棒を砲尾に押し込んだ。発射炎、砲声、硝煙。
それはこの世界に始めて轟いた音の暴力であった。連隊砲列の一斉射撃は、それほどの轟音を発生させた。
しかし《竜砲》に慣れている砲兵どもは即座に次弾の装填に取り掛かった。
五四門の《竜砲》が発生させた砲声は、前進し、胸壁を据え城壁射撃点への弾幕射撃を行おうとしていた第二五旅団の弓兵二個大隊にも一瞬遅れて届いた。
しかし兵どもはそれに気づかなかった。気づいたとしても、それが何かは理解できなかっただろう。それは彼らにとって初めて聞く種類の音だからだ。雷鳴にも、地鳴りのようにも聞こえるが、雨雲も地震もない。結果、命じられた指示の通りに隊列を固めた彼らは、健気に射撃準備を急いだ。雷鳴からしばらく後、それは起こった。
まるで伝説の竜の咆哮を想起させる音が襲い掛かった。それは大気を切り裂いて落下してくる砲弾の悲鳴なのだが、もちろんブレダ兵はそれを知る由もない。
そして、恐怖が現出した。
何の前触れもなく地に穴が穿たれた。飛来してきたのは人間の頭ほどもある石弾。人間に知覚できぬ僅かな間を置いて、その砲弾は己自身の勢いで粉々に砕かれ、土塊と一緒に破片を方々へ吹き飛ばした。猛烈な轟音と爆風が付近の兵の肉体を切り裂き、叩き、砕き、押し潰す。砕けなかった砲弾も、そのまま地表に穴を穿つか、あるいは跳ね、兵を打ち倒し、あるいは落下地点にいた不幸な兵を肉塊とすら呼べぬ無残な死体へと変化させた。
弓兵大隊の兵どもは何が起きたのか理解できていない。麻痺している。弓を構えること、矢を放つことすら忘れ、呆然と辺りを見回している。その間に義勇砲兵連隊の二射目が彼らを襲った。
再び猛烈な轟音。爆発。悲鳴が巻き起こる。吹き飛ぶ土塊に打ち倒され昏倒する兵はましであった。砲弾の破片に腹を切り裂かれ、鮮血とともに臓物をこぼす兵がいる。正面からまともに破片を受け、頭部を引きちぎられる兵もいる。頭蓋を砕かれる兵も。脚を砕かれる兵も。腕を裂かれる兵もいる。悲鳴と苦悶の呻きが大隊を支配した。
三射目の弾着と同時に、彼らは竜の咆哮を思わせる音の後に地獄が現れることを理解した。そして、その咆哮がこの被害の原因だと思った。四射目が到達する前に、当然の反応として後退を開始する。いや、後退といった整然とした部隊行動ではない。それは潰乱であった。下士官や将校の叱咤はない。彼らも同様に、初めて遭遇する奇妙な現象に混乱している。
モハレは命令によって部隊の後退を防ごうとしたが、弓兵大隊の兵が恐慌状態に陥っていることを知ると舌打ちしつつも後退を承認した。
咆哮は、旅団が突撃開始線より後方に退くと治まった。だが長いものではない。しばらくの間を置き、再び始まる。地獄は西方に現れた。陽攻部隊も恐慌状態に陥り、三射目を受ける前に後退した。
モハレは損害報告を集めさせた。その結果、あの“竜の咆哮”が起こす損害はそれほど大きなものではないことを知った。先頭の二個弓兵大隊の被害は死者三九名、負傷者一二六名に過ぎない。ならばと、彼は部隊を再編成させ、隊形を組み直し、二時間後に再び前進を開始した。だが突撃開始線を過ぎると再び咆哮が響き渡り、部隊に地獄が現れる。今度は五分も持ちはしない。先頭部隊は前進命令を無視し、再び後退を始めた。その割には被害が少ない。
明らかな戦意不足――士気崩壊による“退却”である。
モハレは夕刻に再び前進を命じ、それがまた失敗に終わると攻撃中止を具申した。ライラはそれを承認した。その必要があると理解した。夜の帳が落ちる前に指揮官集合を命じる。ケルバー軍が新兵器を投入していることは明らかであったから。