聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争
43『証拠』
西方暦一〇六〇年四月二四日王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部
〈ヤグァール〉摘発より六日後。
宮廷魔導院ケルバー支部は不夜城の如き盛況であった。もはや防諜組織として存在を秘すという最低限の義務すら忘れたかのような活発な活動を行っている。〈ヤグァール〉幹部への尋問と書類分析作業に投入された人員はそれほどのものであった。特に書類分析にはかなりの力を割いている。防諜工作にも支障が生じつつある。
それで構わない、とフェスティアは判断している。彼女の中では開戦は確定事項であり、組織を秘匿する必要はないと思っているし、この〈ヤグァール〉を用いたブレダの工作を追求することが、今最も必要な防諜工作だと思っているからであった。
ケルバーから〈ヤグァール〉幹部の尋問を委任されて五日目になる。指揮をとるカーヅェルは、好みではないが最も効果が高い尋問方法を用いていた。
“生贄”と呼ばれる手法である。幹部の前で関係者を拷問にかけるだけという単純で即物的なもので――だからこそ成功率が高い。人間、余程の胆力の持ち主か壊れていない限り知り合いの悲鳴には耐えられない。そして、翌日には自分が拷問にかけられるという恐怖には。
既に下級構成員四名、幹部一名がその贄となっていた。しかし、その甲斐はあった。
二四日の夕刻、書類を片手にカーヅェルはフェスティアの元に出頭した。
「判明しました。〈ヤグァール〉は間違いなく竜伯の暗殺を計画しています」
尋問の結果得られた情報は、〈ヤグァール〉が〈ブルーダーシャフト〉関連組織の依頼を受けて、暗殺者を複数雇い入れたということだった。
「間違いないのね?」
フェスティアが擦れた声で問い返した。ここ数日というもの、三〇分程度の仮眠を数時間ごとにとる程度の時間しかない。疲労の極致にあった。
「自分の弟が目の前に廃人にされるのを見て嘘はつけないでしょう。ほぼ確実な自白だと思います」
露悪的な表現でカーヅェルは答えた。もちろん少女の精神的健康のために真実を告げてはいない。廃人に“される”のではなく“した”のだ。もちろん彼女は真実を知ったからといって青臭い理想論を振りかざすタイプではないが、納得はすまい。
「ケルバー側では、警護体制を強化している」
「可能性で語られるのと事実で語られるのでは、心積もりも変わっていきます」
「正論ね。シュロスキルへに使者を。文書にまとめて夜までには渡しなさい。支部の工作班は最低限の対敵監視班を除き配置を変更、ケルバーに潜入している暗殺者を発見、確保すること」
「必要とあらば公然監視を行っても構いませんね?」
「構いません。衛兵隊と共同警護計画を立案する必要もあるわね」
「手配します」
カーヅェルは一礼した。
一方、宮廷魔導院に前衛を任せている聖典庁伝道局も独自に動いていた。後方に引いている分、より大局を見据えることができている。というよりも、宮廷魔導院の動きを監視しているだけで手に取るようにケルバーを巡る状況を理解していると表現したほうが正しいかもしれない。
ケルバー修道院院長にして伝道局ケルバー地区先任管理官のセシリア・コルヴェルスは、ここ数日の動静を告げる日報を手に、司祭公室で気難しげな表情を浮かべている。向かいのソファにはマレーネ・クラウファーが座り、手ずから煎れた茶を楽しんでいた。
「随分な馬力で、あの少女は動き回っているわ」
セシリアは単眼鏡を外し、嘆息した。
「フェスティア・ヴェルン」
マレーネは遠い故郷にいる親戚の名を呼ぶように呟いた。
「ええ、血でしょうね。彼女の母――フェルーナ・グレナディート司教は伝道局で有数の諜報工作官だった。情勢分析で、彼女の右に出るものはいなかったわ」
「伝道局司教の娘が、宮廷魔導院の対教会防諜工作官――。母や兄を教会に奪われたのがそれほど憎かったのでしょうか?」
「家庭の事情までは、伝道局でも関らない。少なくとも必要と認めない限り」
セシリアは小さく、どこか疲れたような笑いを浮かべた。
「しかしまあ、宮廷魔導院に防諜の主導権を任せたのは正解だったわね。駒の多さではかなわない。わたしたちは彼らの動きを追うだけで効率的に情報を集められる」
「〈ヤグァール〉を狙い撃ちにした理由はわかりましたか?」
マレーネは訊ねた。
「ケルバー衛兵隊と協同して摘発したぐらいです。よほど急ぎのことがあったのでしょう」
「〈ヤグァール〉は東方領からの武器を密輸していたことが判明している。しかしそれだけならば宮廷魔導院が協力する必要性がない。いや、あるいはその密輸武器が向かう先が神聖王国にとって不都合なものであったのならばわかるけれども。しかしそれでは逆に、ケルバーが積極的に協力する理由がない。もちろん単純に治安上の点から協力した可能性もあるけど……いや、やはりその種の行動に宮廷魔導院が協力させるはずがない。つまり、ケルバーと神聖王国、ともに不都合な問題があったということになる」
「双方にとって不都合、そして火急の問題となるとブレダ王国しか思い付きませんが」
「しかしそれでは、宮廷魔導院が対ブレダ作戦を半ば放棄してまで〈ヤグァール〉にだけ傾注する理由がない」
セシリアは普段、衆民に見せることの無い諜報官としての表情を浮かべつつ言った。
「では、続報を待つほかありませんね」
茶を啜りつつマレーネが言う。
「当座の問題は、こっちの方よ」
セシリアは日報を振った。修道院の信徒、神徒から毎日上げられる日誌である。この日々綴られる日誌こそが、伝道局の最も基本的な情報収集活動であった。
「何かありましたか」
「〈ウェルティスタント・ガウ〉がきな臭くなりつつある」
「新派真教徒どもが良からぬ策謀でも?」
冗談めかしてマレーネが問う。セシリアが日報を示した。報告者の欄に「シーラ」と記されている。
「新派真教徒というより、難民たちが不満を鬱屈させている」
日誌にさっと視線を走らせ、マレーネは頷いた。
「まあ生活状況は良くないでしょうね。しかし、竜伯は慈善活動にそれなりの予算を割いているはずです」
「しかし難民を貧民にする程度に過ぎない。ケルバー市民は、他の領邦の民に比べ富んでいる。差は大きい。それは難民にとっては差別に見えるわ」
「確かに。竜伯にとっても難しい問題ですね、それは」
「もちろん我々にとっても。正真教に改宗させるいい機会ではあるのだけれど、宣撫するには数が多すぎる。まあ、当面は我々も見捨ててはいないという行動を見せるぐらいしかできないわ」
セシリアは日報を書類挟みにまとめた。
彼女たちは、〈ヤグァール〉と〈ウェルティスタント・ガウ〉の問題が根底で繋がっているとは推察できなかった。それを行うには、あまりにも時間と情報が足りなかった。