聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争
40『摘発』
西方暦一〇六〇年四月一八日王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部
目的が決まった後のケルバー当局、宮廷魔導院ケルバー支部の動きは迅速であった。ケルバーによって掻き集められた情報をもとに宮廷魔導院の組織力が稼働する。
ケルバー支部が抱える工作班から実働部隊が編成され、瞬く間に五〇余名が選抜された。もちろん、彼らは表向きケルバー衛兵隊として偽装されることになる。
「面が割れますよ」
竜伯との会見の日から全く睡眠をとらぬまま関係部署との調整を行っていたフェスティアに、カーヅェルは告げた。
柔らかな朝日がうっすらと差す《レルーベル商店》の二階。苦味が強い珈琲が注がれた茶器を持つ指は小さく震えていた。彼も上司に負けず劣らず疲労していた。舞台役者にもなれるような端正な顔には、連日の激務によって貼り付くようになった脂が浮かんでいる。
「それでも執行班を出すのですか?」
「構わない」
充血した瞳で、椅子に腰掛けたままぼんやりと机に広げられた書類を見詰めていたフェスティアは応えた。怜悧な容貌には感情が浮かんでいない。そうしている時の彼女は、逢ったことのない兄にそっくりな表情になる。フェスティアは、ケルバー支部主席管理官としての口調で続けた。
「かなり近い将来、ブレダはケルバーに侵攻する。でなければ竜伯が宮廷魔導院に助力を乞うはずがない。もはやなりふり構っていられないのだろう。となれば我々は遠からずこの街から撤退することになる。面が割れても影響はない」
ケルバー侵攻。その話自体は、会見から戻った彼女自身からその日のうちにカーヅェルも聞いていた。しかし改めて聞くと、それは絵物語の中の台詞のように聞こえた。
「ケルバー侵攻。客観的に見れば常道ですね。ブレダが攻め込むならば、この計画しかないはずだった。どうして誰も彼もがこれを予測していなかったのでしょう?」
「予測はしていた」
フェスティアは溜息をついた。「誰も真に受けなかっただけだ。ケルバーと竜伯を――ラダカイトを過大評価していただけだ。いや、ガイリングを過小評価していたのかも。……ああ、これは表裏一体なのか。あるいは最も恐るべき事態を無意識のうちに忌避していたのかもしれない」
「聖典庁が我々に主導権を渡したのも、これを見越していたせいでしょうか」
「かもしれない。ケルバーを見捨て戦力を転用するつもりだったのかも」
現実の衝撃と身体を苛む倦怠感から、二人は安易に推測した。それは誤認だった。聖典庁も、そこまでの確証は得ていない(とはいえ、宮廷魔導院よりは真実に近い場所にいたが)。しかし、疲れ切った二人は、何もかもを悪い方向へ判断していた。
「では、ケルバーは」
カーヅェルは珈琲を一口含み、その濃い飲み物のせいだけではない苦み走った微笑みを浮かべた。
「あらかじめ失われた街なのですね」
「詩的ね、カーヅェル」
「我らは、ケルバーで何をすればよろしいのです?」
「最悪の事態を先延ばしにする」
フェスティアは薄く笑って告げた。「あるいは、将来のための何かを得る」
「将来。あるのですか? 我々に」
「それを得るための第一歩なのかもしれないな、今日の行動は」
明るいものではない会話に耐えきれなくなったのか、フェスティアは立ち上がった。手を振り、カーヅェルに退室を命じる。
「決まったことだ。
今日の摘発で何かを得ることを祈ろう」
珈琲を飲み干し、カーヅェルは席を立った。失礼しますと告げる。フェスティアは苛立たしげに頷いた。彼女らしからぬ態度だった。仕方がないかもしれない。誰もが業務に忙殺されている。混乱が、彼らから余裕を失わせつつあった。
フェスティアは一人だけになった部屋で、刻時器を見詰めた。第六刻半。既に摘発部隊が動きだしているはずだ。
衛兵隊、保安部、宮廷魔導院からなる摘発部隊一〇〇名は、現時点で判明している〈ヤグァール〉の拠点五ケ所に対し二〇名ずつ分配された。もちろん、通常の検挙活動としてはまったく人数が足りない。衛兵隊司令、フスはそれでも構わないと判断している。何故ならばこれは検挙を目的とはしていないから。重要参考人は確保するよう命じているが、それ以外の者に関しては“抵抗を示したため無力化する”ことが決定していた。無力化とは官僚用語に他ならず、これは殺害を示唆していることであった。人員の配置は平均的なものではない。五ケ所のなかで本拠と見られる〈ウェルティスタント・ガウ〉北部の拠点には、各部隊から最も戦闘力が高いと目されている兵が配されている。熾烈な抵抗が予想されるからであった。
昨晩深夜、ケルバー《竜牙》連隊駐屯地(表向きは未だに連隊とされていた)に集められた彼らは衛兵隊の装具を支給され、翌朝の出動に備え待機。第五刻四五分に駐屯地よりそれぞれの目標へ向かうことになっていた。一斉摘発開始時刻は第六刻三五分が予定されている。
摘発は、まったく奇襲的に行われた。目覚め始めた街並みを都市内で許容できる最大限の速度で駆け抜けた二台の馬車は、〈ウェルティスタント・ガウ〉を走り、その北部に置かれた建造物へと迫った。旧北部城門営舎の成れの果て。そこが、〈ヤグァール〉の本拠であろうと目されている。
最後の辻を通過する直前、通りに立った男が白い布切れをかざしていた。事前に監視に付いていた衛兵隊兵士からの合図。白は“変化なし。突入せよ”。
馬車は速度をさらに上げ、旧営舎の直前で滑り込むように止まった。馬の嘶きが号砲となった。荷台から兵士が次々と降りる。
見張り役として入口にいた男たちは警告の声を挙げることすらできなかった。事前に配置されていた衛兵隊の弓兵が狙撃し、二人の男を射殺した。
胸甲と兜を装備した兵どもは、一二名が包囲、八名が内部突入という分担になっている。突入班の中には純粋な衛兵隊員はほとんどいなかった。
アリエテと俗称される巨大な鉄槌を持つ兵が、突入班の先頭を切って入口へ向かう。全体重を乗せて叩き付けたそれによって、鍵ごと扉が壊される。即座に兵が押し入った。外見とは異なり、旧営舎の内部は実に整えられていた。幾らか建築時とは違う内装が施されている。営舎というよりも小規模な砦であった。窓という窓は塞がれ、小さな狙撃用の穴だけがある。一階のホールには二回と地下に延びる階段が設けられていた。ホールには腰に小剣を差したいかにもごろつきといった風体の男が二人、所在なげに立ち尽くしている。顔はどうにも抜けきらない疲労が貼り付いている。若干むくんでいるようにも見えた。恐らく深夜からの見張り当番だったのだろう。交代の直前だったらしい。
彼らは反応することさえできなかった。
ぼんやりと扉を破り突入してきた完全武装の兵を見詰めている。
ふっ、と兵の一人が息を吐くと同時に二人を睨んだ。呆気なく彼らは炎に包まれた。
「おいおい」
もう一人の兵が声を挙げた。
「死にはしない」
兵が兜を外す。深紅と黄金の中間色のような髪が背中に流れた。レイフォード・アーネンエルベは煩わしそうに長髪を払いつつ続ける。「証拠さえ手に入ればいいんだろう」
彼は指を慣らした。自然ならざる炎は、それを合図にかき消えた。男どもは昏倒している。息はあった。あるだけだった。
声を挙げた兵も兜を外した。
「まったく、宮廷魔導院ってのはそれが流儀なのか?」
ジン・ホルスは侮蔑に似た表情を浮かべて呟いた。自然ならざる炎を操ることについては言及しない。彼も、レイフォードと同様に〈元力〉使いであるからだった。しかし、その“力”の行使については解釈の差がある。治安維持を担当する保安部と、防諜工作を担当する宮廷魔導院の違いといってもよかった。
「“炎”なら余程意図的に使わないと殺せない、そうだろう?」
レイフォードは薄く笑って走り出す。ジンは眉を寄せた。畜生、あいつめ、俺が“火炎魔人”であることに気づいているな。
ジンも、レイフォードに続く。二人は二階へ向かう。そこはかつて兵どもの仮眠室であり、今もそう使われている(と想定されていた)。彼らはその“炎”をもってごろつきどもを無力化する任務を与えられていた。
ミック・フォードとヴァルレイルはともに、一階の制圧を命じられていた。接近格闘戦の専門家と小剣使いであれば、屋内戦で優位に立てると判断されたからだ。
剣戟の音を聞き付け、ドアから顔を出す男どもを拳で叩き伏せつつ前進するミック。鞭と同様に使い慣れた小剣を両手に構え、ミックの死角から迫る者を的確に仕留めるヴァルレイル。
対照的であった。力で先制し、相手を一撃で叩きのめすミック。相手の攻撃を機敏に避け、相手の急所を一撃でえぐるヴァルレイル。まさに剛と柔であった。ミックに倒された者は昏倒し、ヴァルレイルに仕留められた者は即死した。ある程度の連中を排除したことを確認したミックは、我慢できないといった表情を浮かべて振り返り、二、三歩ヴァルレイルに歩み寄ると遠慮なく彼をぶん殴った。ヴァルレイルは壁に叩き付けられ、くずおれた。
「馬鹿野郎がっ! なぜ殺す!?」
ヴァルレイルはまったく痛みを感じてないようだった。無表情のまま口許に手を遣り、切った口内から出た血を拭った。目だけは、感情に類する輝きが漏れている。意味もなく飼い主に怒鳴られたことに驚く子犬のような瞳だった。
「……僕たちの任務は、この建造物の一階部分の制圧です。敵は無力化せよとも命じられました。違うのですか?」
「ああ、確かにそうだ。だがな、俺たちゃ軍人でも密偵でもねえ! 無駄な殺しはするな!」
ミックはヴァルレイルの襟元を掴み、持ち上げ、くっつきそうなほどに顔を寄せた。
「いいか、ヴァルチャーは無意味な殺しをしちゃならねえんだ。覚えておけ。そして絶対に忘れるな。二度は言わない。もし、同じようなことをしたら、次は殴るだけじゃ済まさねえからな。返事は!?」
二度目をしばたき、ヴァルレイルは「了解」と囁くような声で答えた。ミックは手を放し、続け、と命じた。
以後、彼らと遭遇した者どもは幸運であった。手酷い傷を負ったとしても、死にはしなかった。
不運だったのはミックだけだったかもしれない。すべてが終わった後、ヴァルレイルの口許に浮かぶ痣を見たシャロンにとことん叱られたからである。
最も重要だと思われた地下への突入は、宮廷魔導院執行班と衛兵隊精鋭から選び抜かれた四名が行った。
しかし、地下には地上部分よりも多数の者たち、何よりも戦いと殺しに慣れた者がいた。最初の突入は撃退され、二度目には一人が斬殺された。外周包囲班から何人かが呼ばれ、再び突入が繰り返される。ある程度進むことはできたが、バリケードを立ててまで応戦しようとする〈ヤグァール〉の構成員たちに素早い前進を阻まれている。ついには奥から煙がたなびき始めた。何か書類を燃やし始めたらしい。彼らは焦り、決断した。
保安部の連中を呼び、先陣に立てたのだった(彼らが地下突入班から外されていたのは、情報の独占を狙うケルバーと宮廷魔導院の思惑のためであった。保安部は所詮《禿鷲の巣》で傭われたよそ者に過ぎない――情報が漏れる――という意識があった)。
彼らは期待に応えた。
ケルバー衛兵隊は五ケ所で一斉に行われた摘発により、〈ヤグァール〉上級幹部五名、構成員二九名、書類及び密輸武器多数を逮捕・押収した。“法権力の強制行使”による死者は、およそ五三名に及んだ。上級幹部はその日のうちに衛兵隊立ち会いのもと、宮廷魔導院ケルバー支部の尋問のために連行され、書類検証については同様に宮廷魔導院ケルバー支部と衛兵隊が共同してあたることになった。
リザベートたちが危機と考えている独立祭まで、あと一二日。証拠が出てくるのか否かは、彼らの能力と献身にかかっていた。