聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争

39『協力』

 西方暦一〇六〇年四月一六日
 王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部

 〈ヤグァール〉の拠点にはケルバー衛兵隊と保安部が到着し、現場の保存と証拠の採証が始まっている(保衛本部ケルバー支部は「難民区域は担当ではない」と人員の派遣を断った)。その中で最も手間取っているのは、家屋の中の三〇体以上にも上る死体の処理であった。
 ミックとヴァルレイルは、そこで見つけた“覚書”をヴァイパーに見せ、ヴァイパーはそこに記された内容の重大さに気づくと、二人に箝口令をしいた。自身は、その覚書を保安部長たる《禿鷲の巣》ケルバー支部次長に届けた。払暁に叩き起こされた次長は、さらに支部長を、支部長は使いを出し、シュロスキルヘのリザベートに通報した。それが狂騒の始まりを告げる使者となった。
 
 およそ八六時間ぶりのまともな睡眠を貪っていたエンノイア・バラードが叩き起こされてリザベートの私室へ招かれたのは、陽が顔を覗かせつつある午前四刻半過ぎであった。そこには同様に久方ぶりの空き時間を見つけ眠っていたはずのリザベートが不機嫌な顔つきのまま椅子に腰掛けていた。先客としてもう一人、老境に差しかかったといってよい男が居心地悪そうに椅子に腰掛けている。
「どうしました、こんな時間に」
 睡眠不足のせいでかすれがちな声で、エンノイアは訊ねた。
「〈ヤグァール〉を知っている?」
 リザベートはまったく不機嫌な声で問い返した。エンノイアは戸惑いつつも頷いた。
「〈ウェルティスタント・ガウ〉を根城に活動している旧ハウトリンゲン公国系の犯罪組織ですね。それがどうかしましたか?」
「数時間前、〈ヤグァール〉の拠点の一つで殺人事件があった。三〇人近くが殺されていたわ。犯人は不明で、現在も捜索中。おまけにそこの拠点は、密輸物資の隠匿倉庫だったらしくて大量の武装が保管されていた。そこの倉庫のものだけで、完全武装の一個中隊が編成できるほど」
 寝起きで整えられていない金髪を苛立たしげに掻き、リザベートは溜息をついた。
「まあ、それはいいのよ。問題は、こいつ」
 リザベートは男に頷いた。「彼はケルバー衛兵隊長、ゴドフリート・フス」
 エンノイアは一礼した。ケルバー衛兵隊。元はケルバー連隊内の憲兵として保安業務を担当しているが(戦時になれば本来の任務に戻る)、平時はケルバー独自の警務も兼ねていた。
 フスと呼ばれた老人は好々爺を思わせる顔に渋面をつくり言った。
「〈ヤグァール〉の隠匿倉庫を最初に発見したのは保安部の人間でした。そこでこの覚書を見つけた、ということです。箝口令はしいてあります」
 フスが差し出した紙切れには、【リザベート・バーマイスター暗殺計画に備えて諸準備を整えよ】と記されている。
 エンノイアは無言のままそれを見詰め、「お茶が欲しいですね」と呟いた。まだ頭が働かないからであった。リザベートは扉の外に控える侍女に命じて茶の用意をさせた。
 茶器とポットが用意された。フスが茶を注ぐ。目の前に配されたそれを、エンノイアはありがたく啜った。濃い目に淹れられたお茶のせいで、眠気が払拭される。
 エンノイアは思案するように茶器から立ち昇る湯気を見詰めながら、口を開いた。
「まず、伯爵閣下の身辺警護を強化します。何にせよ時期的に必要な措置ですからね。
 これについては了承していただけますね?」
 リザベートは呻くように吐息を漏らした。
「……まぁ、しょうがないわね……堅苦しいのは好みじゃないけど」
「さらに、現在判明している〈ヤグァール〉の拠点を一斉に摘発すべきです。この暗殺計画が事実か、それとも何かの罠なのかはその過程でわかるはずです。何にせよ、〈ヤグァール〉は友好的な組織ではないのですから、これ以上市民に不安感を醸成しないためにも潰してしまいましょう」
「……あっという間に、物事を単純化してしまうのねえ」
 リザベートは半ば呆れたように嘆息した。先程まで対応に苦慮していたのが馬鹿らしいほどであった。
「進むすべきか退くべきかわからなくなった時は、突撃せよ、というのが聖救世軍の教えでした。攻撃的であることには意味があります。守っていても事態は変わらない」
「……だ、そうよ。やれる?」
 リザベートが小さな笑みを浮かべてフスに訊ねた。
「現在判明している拠点は五つ。今回の武器密輸を突破口に摘発をかけることはまったく問題ありません。しかし、衛兵隊はそのすべてに手を付けることはできません。人員が少なすぎます。ですが、一斉に拠点に踏み込まなければ逃亡の恐れがあります」
「保安部を動員して」
 リザベートの提案をフスは首を横に振って受けた。
「足りません。衛兵隊全員を出すわけにはいかないのです。私たちには通常業務もあるのですから。うちからは四〇名が限度ですな」
「確か保安部は総動員しても一〇名いませんでしたね」
「旅団からは?」
「申し訳ありませんが、割けません。演習に出てない部隊もこちらで為すべきことがありますから」
「最低でも、一拠点に二〇名は配したい。となれば、あと半数をどこからか集めなければなりません」
 吐息を一つつくと、リザベートはお茶を啜った。茶器を置く。
「なら仕方ない。借りましょ」
「借りる。どこからですか?」
「一応、ケルバーにも友好国があることになっているのよ」
 悪戯っぽい微笑みをたたえて、竜伯は言った。
 
 その日の朝、シュロスキルへからの使いが《レルーベル商店》に差し向けられた。使いは、“独立祭に向けて城壁を修繕せねばならない。ついては石材取り引きの商談を行いたい”と告げた。何より問題なのは、フェスティア・ヴェルンを名指しして招いている点であった。
 
 聖典庁との会合以降、ケルバーでの防諜工作を統率せざるを得なくなったフェスティアは疲労の極致にある。準戦時体制への組織改編(より積極的・攻撃的な防諜体制への移行)により、彼女の指揮下へ置かれる工作班が増加したためであった。
 組織改編は即座に効果を発揮した。恐ろしいほどのブレダ側諜報部隊の浸透度が判明したのだ。フェスティアは遅れをとった、と判断していた。
 宮廷魔導院は今回の危機を暢気に受け取りすぎた。ツェルコン戦役以降、完全に戦時体制へと切り替えている王立諜報本部に比べ、あまりにも非力に過ぎるとも。
 そこに来て、今度はシュロスキルへからの名指しでの召喚。これが《レルーベル商店》としての用件であるわけがない。つまり、ケルバーも完全な戦時体制下にあるということの証左だ。ケルバー側は、この都市における宮廷魔導院の活動を把握していると宣言したようなものである。フェスティアは、まったく理性的な推測からそう判断し、そしてそれを屈辱として受け止めた。もちろんそれは感情であり、判断には含めない。
 悪い話ではないだろうと彼女は思い、召喚命令を承諾した。
 
 フェスティアがシュロスキルへへ登城したのは昼前であった。カーヅェルに指揮を任せ、護衛としてレイフォードのみを引き連れてている。
 彼女たちは即座に応接の間へと通された。
 侍女たちがお茶と軽食を用意し、引き下がる。竜伯の姿はない。
「……人を呼んでおいて、待たせるというのは感心しないな」
 レイフォードがぽつりと呟いた。登城前、簡単に身だしなみを整えたフェスティアは、目許をほぐしながら応えた。油断すると眠ってしまいそうだ。
「優位にあることを示したいのでしょうね。何らかの取り引きを持ち掛けるつもりなのでしょう。時期的に見て、そうとしか考えられない」
「取り引き?」
「対ブレダ問題でしょう。まあ、話は聞いてからよ」
 五分経ち、一五分が過ぎた。竜伯が姿を現したのはそれからさらに一〇分後であった。
「ごめんなさいね、お待たせして。色々と仕事がたまっていたから」
 入室して開口一番、リザベートは上座に座りつつそう言った。付き従っていた侍女に茶を淹れさせ、それが済むまでの間、独立祭で必要な石材の量についての話を交わした。その演技にフェスティアも付き合った。
 侍女が一礼して立ち去る。扉が閉まると同時に、リザベートの表情は一変した。
「さて、フェスティア・ヴェルン。あなたほどの才能があれば、この会談の目的についての推測がつくわよね?」
 この一言だけで、リザベートがこちらについてどれだけの情報を把握しているかが判別できた。彼女は、フェスティアが宮廷魔導院のケルバー全権代理であることを知り抜いているのだった。
「対ブレダ作戦でしょうか」
「話が早くて助かるわ。こっちは本当に忙しいのよ。あなたもそうでしょうけど。さて、と」
 一息入れるように、リザベートは濃い目に煎れた茶を一口含んだ。
「宮廷魔導院と我がケルバーが、盤石の一枚岩だと言うつもりはないわ。神聖王国と自由都市は、どうにも微妙な関係ですからね。あなたがたが、その力の半分をわたしたちの動向把握に傾けていることも承知しているし、それを非難するつもりもない。
 そして、そのせいでブレダへの防諜工作がおろそかになっている点についても」
「……」
 フェスティアはほんのわずかだけ、片方の眉を持ち上げた。リザベートはそれを一瞥し、小さく口許を綻ばせた。まったく、この辺りの鉄面皮ぶりはお兄さんそっくりね。
「我がケルバーと神聖王国の共通事項は、ブレダと敵対――少なくとも好意的関係にはないことだと思うのだけれど、異論はないわよね?」
「一般認識としては」
「それで結構。あなたと議論がしたいわけではないから。わたしの元には、あなたがたがようやく重い腰を上げて対ブレダ工作を行いつつあるという報告が上がっています。地力では勝るあなたがたならば、ある程度の情報は掴んでいるでしょう?」
「それを取り引きしよう、とでも言いたいのでしょうか」
 フェスティアは平坦な声音で訊ねた。一瞬間を置いて、リザベートは上品な笑いを漏らした。嫌味のない失笑といったところだ。
「……かわいいわね、あなた。昔のわたしを見てるみたい」
「それは愚弄ですか?」
「昔の自分を貶めるつもりはないのだけど。〈人外の者〉を自称するのなら、もう少し落ち着きなさい、勅任防諜魔導官フェスティア・ヴェルン」
「……」
「残念だけど、ことケルバーに関る情報ならば、こちらの方があなたがたよりも知り抜いているわ。だから、情報を教えてくれだなんて言うつもりはない」
「では、何なのです」
「協力しましょう。わたしたちが、あなたがたに」
 虚を突かれる。フェスティアはそれを隠し通すことができなかった。宮廷魔導院にとってケルバーは、贔屓目に判断しても悪意を持たぬ敵という程度の存在であった。今の今まで、協力関係を築けるとは思ってもいなかった。
「協力……ですって」
「ええ。こちらが入手するブレダ情報は、“漉し取る”ことなくそちらにお届けするわ。そちらが掴んだものについては……まあ、そちらで判断して。わたしとしては、味方になれとは言わない。せめて、好意的な中立を保ってくれればいいと思っている」
「本当だとするなら、随分とありがたい申し出ですけど」
「本当よ。もちろん、善意の押し付けほど信じられないことはないから、条件は付けるわ」
 そっと溜息をついて、フェスティアは深くソファーに座り直した。顔を天井に向けて、しばし瞑目する。ようやく本題ね。
「伺いましょう。ただし、聞いたからといって先程の提案について了承できるというわけではありませんよ」
「わかっているわよ。フェスティア・ヴェルン、御存知ないかもしれないけど、わたしはあなたが子供の頃から鏡の荒野で生き抜いてきたのよ? ……ああ、嫌だわ、自分が年増だって宣言しているみたいね。ふふ」
 本気とも取れるような声音で、リザベートは言った。フェスティアは、けして自分の本心を見せなかった母のことを思い出していた。
「〈ヤグァール〉摘発に協力して欲しいの」
「〈ヤグァール〉? 犯罪組織の摘発に宮廷魔導院が協力するのですか」
「保衛本部が信用ならないことはあなたも知っているでしょう?」
「……例外は常に存在することは理解しています」
「あなたの祖国に対する忠誠心は褒めてもいいわね」
 リザベートは苦笑を浮かべて頷いた。エステルランド神聖王国の国家警察とでもいうべき組織、王国保衛本部のほとんどが辱職の温床であることは公然の秘密である。しかし、勅任防諜魔導官であるフェスティアはそれを公式に認めるような発言はできない。
「本日未明、〈ヤグァール〉の拠点の一つで、こんな覚書が見つかったの」
 リザベートは懐から紙片を取り出し、示した。受け取ったフェスティアはそれを読み、息を飲んだ。
「これは……本当ですか」
 リザベートは肩をすくめて見せた。「いわゆる裏付けはまだ得てないわ。かといって、時期的に見て座視してもいいとは想わない。だから、先手を打つのよ。その経過の中で、確証が得られるのか否かが判明するでしょうね」
「早計に過ぎませんか? それに、王立諜報本部がこんな直接的な手段を用いるとはどうにも思えないのですが……」
「戦争が近いの」
 抑揚のない声で、リザベートは告げた。
「こんな捻りも何もない言い方、本当は趣味じゃないんだけど。ブレダの諜報部隊の浸透度を説明するには、その一言で充分。王立諜報本部の趣味なんかどうでもいいのよ。彼らは、戦争を再開する名分が欲しいに決まっている。そりゃそうよ、ハウトリンゲン侵攻の奇襲攻撃では随分と外交的にも傷ついたから。だから今度は、戦争を再び始めるための大義が欲しいはず。わたしの死もその一つかもしれない。違うかもしれない。わからない。だから先手を打つの。それともあなた、何もしなければ救世母か金色外套王が天啓でも授けてくれるというの?」
 フェスティアは肩を一瞬震わせた。抑揚のない、文面を読むような竜伯の言葉が、実質的な罵倒であることに気づいたからだった。
 そして、ここま断定的な口調であるということは、戦争再開の確たる証拠、あるいはその兆しを彼女が掴んでいることを意味する。しかも、ケルバーが攻撃されることを。
 宮廷魔導院は、そこまで確信はしていない。本年度中に春季ないし夏季攻勢が行われるであろう予測はついているが、それは東方戦線――ザール方面で行われると思われている。
 いけない。フェスティアは表情を変えぬまま、背筋を凍らせた。恐怖すら覚えている。
 ケルバーを打通し、王都へ。それは神聖王国の誰もが予想していない予想図であった。地図を見れば誰もが思い浮かべるであろう作戦計画。しかし祖国の誰もが、楽観を通り越し、妄想に近い思いを抱いていた。ブレダが、ラダカイト商工同盟を敵に廻すはずがない――はずがない。はずがない。願望。まったくの願望。畜生、早計に過ぎたのは私たちということなの?
 ケルバーの神聖王国離反監視などどうでもいい。今そこにある危機こそに対処するべきだ。ならば?
 決まっている。竜伯に、王国自由都市の方伯に、この眠らない商業と情報の街、ケルバーを支配する女王に協力するのだ。情報を集め、然るべき部署へ届け、最悪の事態に間に合うよう――せめて、致命傷にはならぬように備えるのだ。
 レイフォードは二人の卓越した情報工作官の会話、その中身をほとんど理解できなかった(理解しようともしなかった。彼の立場を考えれば当然だった)。しかし、竜伯の言葉が悪罵に近いものであることはわかった。ちらりと傍らの少女に視線を移した。傍らに座るフェスティアの口許が歪んだ。怒りか、とレイフォードはわずかに狼狽した。違った。彼女は、笑っていた。
 フェスティアは、声を挙げて笑いたい気分になっていた。
 馬鹿馬鹿しいとすら思っている。
 わたしの肩に国家の命運がかかっているというわけかしら。この、たかが一九歳の小娘に。なんてこと。大体わたしは、宮廷魔導院でも対教会工作が担当なのに。まったく。嫌。責任を背負うなんて絶対に嫌。ああ、でも。ええい、もう。
「どうする? 勅任防諜魔導官フェスティア・ヴェルン」
 リザベートが彼女の内心の思いを見透かしていたかのように口を挟んだ。
「よろしいでしょう」
 フェスティアは逢ったことのない兄と同じ紫色の、女性としては鋭すぎる瞳でリザベートを見詰めた。
「対ブレダ工作に関して、宮廷魔導院ケルバー支部は王国自由都市ケルバーに協力します。勅任防諜魔導官フェスティア・ヴェルンの責任の元で」
「決まりね」
 リザベートがにこりと微笑んだ。立ち上がり、手を差し出す。フェスティアは黙って立ち上がり、それを握った。
 
 ケルバーを仮想敵の一つとしてきた宮廷魔導院が、防諜工作に協力する。それは諜報関係者にとって夢想だにしなかったであろうことだった。