聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争

28『野外訓練』

 西方暦一〇六〇年四月一二日
 王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部

 ケルバー独立祭は、四月三〇日に行われるこの都市最大の祭典だ。
 実際にヘルマン一世から独立特許状を与えられたのは九月二日なのに、記念祭がこの日になっている理由が面白い。街の人々はこう言う。
 ――九月二日は、王国から独立を“許された”日。四月三〇日は独立を“もぎ取った”日だ――。
 つまりこういうことだ。
 ヘルマン一世から特許状を受け取ったのは九月。確かに形式上、九月二日が独立記念日といえる。しかしそれを有り難がっているのは、まるで独立を許した国王に感謝するようで面白くない。ならば、四月三〇日にしよう。
 歴史的に言えば、四月三〇日はハウトリンゲン公国が派遣した鎮圧軍との戦闘に大勝利をおさめた日だった。この敗北に衝撃を受けたハウトリンゲン公国は軍事鎮圧を諦めた。
 いわば九月二日は四月三〇日の勝利を追認しただけだといえる。
 いかにも反骨心のある、ケルバー市民らしい理由であった。
 以来二〇年間、王国貴族の渋面とケルバ
 ー市民の歓声に彩られて、独立祭は四月三〇日に行われている。
 
 四月に入ってから徐々に、祭に向けての準備は進められていた。街を彩る飾り付けは当然のこと、独立祭に行われるパレードのための大通りの整備や市民・観光客統制のためのケルバー連隊の人員強化、国賓の受入などが含まれている。もちろん市民たちは、今年もそうだと思っていた。
 
 シュロスキルへの四階に設けられた一室、そこの中央に置かれた巨大なテーブルの上に、色々と書き込まれたケルバーの地図が置かれている。何かの進捗状況を示すような数字、地区ごとの人員配置を示す数字、それに日付が記されていた。
 その地図は、独立祭準備に伴い行われている都市の改装工事――に見せかけた都市強化――の進捗状況を示すものだ。
「全体としてはぎりぎり、というところでしょう」
 エンノイアが告げた。傍らには、地図を覗き込んでいるリザベート。二人とも、顔面には隠しきれぬ疲労が貼り付いている。特にケルバー防衛の全権を任されているエンノイアのそれは色濃い。かれはおおよそ二週間近く、まともに休んではいなかった。
「隠密裏の仕事だからね、仕方ないわ」
 リザベートは頷いた。
「勘のいい棟梁たちは、疑問に思っているでしょうけど」
「隠し通すしかありません。まあ、最後の手段としては真実を話して金殻を渡すしかないでしょうが」
 エンノイアはほつれた髪を手櫛で整えながら答えた。その仕草は無意識の艶めかしさに溢れている。リザベートは見とれ、次いで奇妙な腹立たしさを覚えた。彼を見るたびに、女としての魅力というものについて哲学的な考えを抱いてしまうからだった。
「どこまで行けると思う、エノア?」
「すべてが理想的に進むのなら、一カ月持たせられるはずです。まあ、それは夢物語ですがね。現実的に言えば二週間前後といったところでしょう」
「二週間、か」
「覚悟して下さい。史上稀に見る悪戦になりますよ。街を瓦礫に変えながら戦うようなものなのですから」
「馬鹿らしいとは思うけど、残念ながらそれを否定するほど純真じゃなくなっちゃったからね、わたしも」
 リザベートは薄く笑った。自嘲と諧謔に満ちた微笑みだった。
「基本計画は、三段階になります。城壁での攻防、都市内での攻防、河川港の攻防です。都市の中に水路があって助かりましたよ。橋を落とせば何とかなる」
「街を瓦礫に変えながら、か」
「まさに文字通りに」
「仕方ないわ。そう言いたくないけど。エアは?」
「傭兵大隊と歩兵第一大隊を率いて野外演習へ。戻ってくるのは十日後ですね。《雷の杖》の習熟訓練も兼ねているそうです」
「大変ね」
 リザベートは窓に歩み寄り、開け放ちながら呟いた。耳ざといエンノイアが、それを聞きとがめた。
「大変。何がですか?」
「ヒ・ミ・ツ」
 リザベートは笑った。エンノイアは眉をひそめた。
 まさか演習に彼女たちが付いていっているなんて、エアは思いもしないでしょうね。
 
 エアハルトが部隊を率いて野営したのは、ケルバーから西南に二〇キロほど離れた地域だった。主街道からもだいぶ離れた丘陵地帯に挟まれている。余程の数奇者か、道に迷わない限り人が来ることはない。領土的にも、ぎりぎりケルバー領だといえるところであった。
 傭兵大隊一二〇〇余名、歩兵第一大隊九〇〇余名がそれぞれに数多くの天幕を張り、宿営地の設営を始めていた。
 エアハルトはその様子を眺めながら小さく溜息をついた。全身に、抜けきらない疲労感が蓄積している。彼は三週間以上、部隊訓練に付きっ切りだった(うち三分の一は、書類仕事や交渉――部隊編成や兵站物資に関するあれこれについてだ)。
「大隊長殿!」
 エアハルトは振り返った。若い男が駆け寄ってくる。彼はエアハルトの前で立ち止まり、直立不動の姿勢をとった。
「大隊本部、設営終わりました!」
「御苦労、レイガル」
 レイガルという名の青年は、傭兵として彼が直接面接し採用した。錬金術を扱え、目端も利き、戦闘能力にも不足はない(珍しいことに元力の使い手でもあった)。エアハルトは彼を、大隊長副官として採用した。エアハルトは彼はもう少し経験を積めばしぶとい傭兵になれるだろうと思っていた。もちろん生き残れば、だが。
「大隊幕僚が大隊長殿にお越し願いたいと」
「わかった。ナインハルテン嬢と第一大隊長を本部へ。――それとバレルシュミット閣下にも、大隊本部にお越し願えれば幸甚だと伝えてくれ」
「了解しました!」
 レイガルは再び走り出した。エアハルトはそれに苦笑しながら、一際大きな野戦天幕へと向かった。
 
 野戦天幕には、大隊首席幕僚(指揮官の補佐)、大隊戦務参謀(作戦、編成、訓練担当)大隊情報幕僚(斥候、情報、規律維持担当)、大隊兵站参謀(補給、輸送担当)、大隊人務参謀(人務、法務、宗教担当)が揃っていた。彼らは傭兵あるいはケルバーからの志願者によって形成されている。
 エステルランド神聖王国軍でも未だ端緒についたばかり参謀制度がここで確立されている理由は、ケルバー旅団司令エンノイア・バラードの影響だった。バルヴィエステ王国出身の彼は、かつて聖救世軍軍人であった利点をここで最大限に生かすつもりなのだった(同様に、聖救世軍特有の部隊編成・階級制度も導入していた。先進的に過ぎるが、もとより進取の気性に富むケルバー市民は、積極的にそれを肯定し学んでいる)。
 祖国の先進的軍事技術を後進国で実験したいわけではない。それらの制度的・精神的利点も使わねばケルバー防衛など行えないと判断したのだ。
「五時間後には、宿営地の設営を終えます」
 挨拶の後、大隊首席幕僚が報告した。
「明朝から訓練を始める。訓練の目的は霊媒による部隊統制の演習と、錬金術兵器の習熟だ」
 エアハルトは告げた。
「ともかく、兵たちを《杖》に慣れさせること。この兵器を扱えるか否かで、ケルバーの運命が決まる」
「慣れさせる、ですか」
 歩兵第一大隊長が呟くように言った。彼はケルバー《竜牙》連隊中隊長だった数少ない職業軍人で、規模が拡大したケルバー軍の歩兵大隊――志願兵を中心とした《雷の杖》装備大隊――長を命じられた。エンノイアから聖救世軍流の兵術を短期集中で叩き込まれている。胸甲には、未だ慣れぬ階級制度に従い、少佐の印が刻まれていた(ちなみにエアハルトは中佐の階級を与えられている)。
「正直、役に立つのか疑問を抱きますが」
「君がそれでは困る、少佐」
 エアハルトが叱責した。柔らかな顔の造りとはいえ、実戦経験から来る底冷えする覇気は剣のような印象を与える。大隊長は目尻をわずかに震わせて頷いた。
「役に立たなければブレダに蹂躙されるだけだ。それが嫌なら死ぬ気で覚えろ」
 本部内のテーブルの末席に、霊媒班代表として出席していたエミリアが痛ましそうにエアハルトを見遣った。突き放すような言葉など、彼が発すべきものではなかった。
 もう、駄目なのかしら。絶望に包まれながら彼女は思った。
「君のところの下士官たちには、決して気を抜かないよう厳命して欲しい。兵たちにこれから十日間、生まれてきたのを後悔するほどの訓練を施すことだ。戦場で血を流すより訓練で汗を流したほうがましなことぐらい、理解しているだろう」
「それはそうですが」
 少佐はどこか反感を抱いたように眉をひそめた。エアハルトはにっこりとした。
「ならばそうしろ」
「中佐、よろしいか」
 エアハルトの傍らに座っていた短髪の女性が凛とした声で訊ねた。他の兵のように胸甲は装備していないが、硬い革で造られた胸当てを装備している。腰には、軍刀の替わりに《杖》を下げていた。
「なんでしょう」
 エアハルトは礼儀正しく女性に向き直り、敬語で応えた。
「諸卿は錬金術兵器について知らぬところがあるかもしれぬ。しかし、《杖》さえあれば、騎兵突撃は防げることは我が軍が実戦、あるいは演習で実証済みだ」
「その理由をお聞かせ願えますでしょうか、閣下」
 少佐が応じた。女性はにやりと微笑んだ。
「《杖》を使えばわかる」
「……では、明日を楽しみにするとしましょう」
 隠し切れぬ反感を滲ませて、少佐は頷いた。
 エアハルトは小さく溜息をついて、大隊戦務参謀に訓練日程を説明させ、会議を終わらせた。
 
 参謀や部隊長が散開した後の野戦天幕には、エアハルトと短髪の女性が残された。
「申し訳ありません、閣下」
 エアハルトがぽつりと言った。彼は部下の態度について言っているのだった。
 短髪の女性――ロイフェンブルク方伯姫、ロイフェンブルグ騎士団長クリスティア・ロッフェルン・バレルシュミットは苦々しげに応えた。
「まあ予想はしていた、中佐。ミンネゼンガーならばともかく、ここでは未だ錬金術兵器は奇術以下の扱いだ」
「十日以内に、それを誰もが信頼する無敵の武具へと切り替えさせなければなりません」
「やる。やらねばならない。同盟に従い、我が軍の装備を供与したのだ。ここで錬金術兵器に対する畏怖をブレダ王国軍に叩き込まねば、いずれ我らが痛い目を見ることになる」
 バレルシュミットは冷徹な目でエアハルトを見据えた。
「中佐。我らは友誼と条約に従い兵と、武器を預けた。しかしそれでも数の暴力に勝てるとは思えない。貴公は勝てると思うのか」
「思いません」
 あっさりとエアハルトは答えた。
「奇跡でも起こらない限りは。そして奇跡とは、望んで起こるものではありません。いや、僕やエノア、リズは奇跡など願ってはいません」
「では、何のために戦うというのだ」
「自由のため。誇りと言い換えてもいいでしょう」
 答えるエアハルトを、バレルシュミットは凝視した。口を開く。
「しかし貴公は、それを信じていない」
 エアハルトは微笑んだ。クリスティアが驚くほど、純粋な微笑みだった。
「もちろんです、閣下。自由? 誇り? そんなもので、人命を浪費するなど愚の骨頂、唾棄すべき行為です。少なくとも僕はそんな戦いなどご免こうむる」
「ならば、何故戦うのだ」
「僕は、彼らを守りたい」
 エアハルトは、異様な輝きに満ちた瞳で彼女を見詰めた。
「そして彼らが誇りのために戦うというのならば、それを守るために剣を取る。単純な理由です」
 瞳の輝きに気圧されたように、バレルシュミットはぎこちない微笑みを浮かべた。
「……それはなかなかに覚悟がいるな」
「そうでもありませんよ、閣下。大切な人がいればいい。大切な物があればいい。大切な思い出があればいい。人間はそんなもののために戦うこともできます」
 伝説上の何かを見るかのように、彼女はエアハルトを見詰めた。
「気を悪くするかもしれぬが中佐、貴公はよほどの愚か者か勇者だな」
「愚者も勇者も似たようなものですよ、バレルシュミット閣下。もちろん僕が勇者だと言いたいわけではありません」
 エアハルトは笑った。バレルシュミットは小さく敬礼を捧げた。
「中佐――いや、エアハルト殿。貴公が剣を取っている間は、我らを股肱の部下と思ってくれればこれに勝る喜びはない」
「ありがとうございます、閣下」
 
「……なんか、いい感じでむかつくわね」
 野戦天幕の入口、仕切り幕の隙間から覗いていた少女たちの片割れが呻くように呟いた。
 
 リーフとティアであった。その背後では、レイガルが困ったような顔で彼女らを見詰めている。
 二人はあの決意した日に共謀して、傭兵隊に所属するレイガルに演習訓練に同行させるように頼み込んだ。その様はリーフ曰く「魂を込めた説得」、レイガル曰く「断ったら殺されると思った」といったものだった。ちなみにレイガルが選ばれたのは大隊長副官という地位を利用できるかも、という理由のほかに「説得しやすそうだったから」というものもある。ともかく彼女たちは傭兵大隊出立の日に、レイガルの手引きによって馬車の一つに便乗し、ここまで来たというわけであった。
「リーフさん、見つからないようにしてください。怒られるの、俺なんですから」
 レイガルが囁いた。わかってると言いたげにリーフは頷いた。
「あの女は誰なのよ」
 リーフが訊ねた。声の響きは詰問に近い。レイガルは何故かこめかみに冷や汗を流しながら答えた。
「ロイフェンブルク伯爵家の長女、クリスティア・バレルシュミット様です。錬金術兵器教官として同行しています」
「ふん、貴族がなによ」
 
 リーフは煮えたぎる想いそのままに毒づいた。そしてはっと表情を改める。頬が少し赤くなった。なんであたしってば、怒っているんだろう。怒る必要なんて、どこにもないのに。おかしいな。
 そしてそんな彼女を、ティアは強く見詰めた。彼女の内心でも感情が渦巻いている。それはリーフのものとは正反対の氷にも似た想いだった。彼女は羨ましかったのだ。
「あ、やば。貴族がこっちに来る。隠れるのよ!」
 リーフはティアの手を引くと、大隊本部天幕から離れた場所に立てられた兵営天幕の陰に隠れた。周りにいた傭兵が珍しそうに彼女たちを見遣っている。
 天幕の外に出たのは、バレルシュミットとそれを見送るエアハルトだった。二人は二、三言言葉を交わした。彼女たちの視線の先で二人は敬礼をし、バレルシュミットは歩き去った。
「ティア……」
「なんでしょう」
 リーフは視線をバレルシュミットの背中に向けたまま囁いた。隣で天幕の陰からそろりと顔を出して同じように見ていたティアが応じる。
「見ておきなさい、敵の姿を」
「敵。どこに敵が?」
「……あの貴族よっ!」
「……………………あらゆる情報を照合しても、あの方を敵と判断する理由が見当たりませんが」
「何を言っているの! どー考えても敵じゃない! なんていうか、女の魂的に!!」
「はぁ」
 その時リーフがティアの顔を見ていれば、世にも珍しいものを見れただろう。溜息にも似た返事したティアは、かなり間の抜けた表情をしていたのだった。
「エミリア」
 リーフは呟いた。天幕に戻ろうとしたエアハルトを、エミリアが呼び止めていた。
 エアハルトは振り返り、何事かを発した。エミリアは弱々しい微笑みを浮かべて首を横に振っている。再びエアハルトが何かを訊ね、エミリアは言葉を返した。そして、二人は連れ添って大隊本部天幕へと戻った。
「……何か、むかついてきたわ」
「エミリア様にですか?」
「――いいえ、エアの方よ!」
 リーフは魔獣ボルゾイのような足音を立てて天幕へと向かった。背後からティアが止める。
「落ち着いてください、リーフさん。そんなに音を立ててはマスターにばれてしまいます」
 リーフは野獣のそれに似た呻きを漏らすと、ゆっくりと大隊本
 部天幕へとにじり寄った。まだ冷静な判断力が残っていたらしい。
 二人は耳をそばだてた。
 
「それで、話って?」
 エアハルトは図台替わりの大きなテーブルに腰掛けながら訊ねた。エミリアはその向かいに座っている。彼女は今にも泣き崩れそうな表情を浮かべていた。
「……エアハルトさまのお心のことです」
 あまりにも直截な表現だった。エアハルトは浮かべていた柔らかな微笑みを凍らせた。
「心。僕の」
 強張りを解きながらエアハルトは反芻した。「つまり?」
「お忘れですか。わたくしは霊媒です」
 エアハルトは視線を泳がせ、それから細巻を取り出し、くわえてからぽつりと呟いた。
「正直、いい気はしないな。それは」
「わかっています。ですが」
 エミリアはエアハルトを見詰めた。
「このままでは、あなたは……」
「わかっているさ。わかっている」
 エアハルトは吹っ切れたようにも見える微笑みを見せた。点火芯で細巻に火を付ける。
「もう、幾らももたないだろう。だからさ。だからだよ、エミリア」
 優しくエミリアを見据えた。エミリアは四年前のことを思い出した。あの脱出行の時、恐怖し、自暴自棄に陥った自分に向けてくれた表情と同じだった。
「だからこそ、何かを成し遂げたい。血と罪に塗れた僕の人生がそれだけではなかったと思いたいんだ。だからリズの頼みを受け入れた。防人としての役割を投げ捨ててまで。軽蔑してくれてもいいよ、エミリア。今の僕は、自分のためだけに動いている。防人でも……ヴァハトでもない」
「そんな!」
 語気強く、彼女は反応した。目に涙を溜めて、それでもなおエアハルトを見詰め続ける。そうすれば、彼を救えるとでも思っているように。
「あなたは、わたくしを救って下さいました。いいえ、それだけではありません。この世界にはあなたに救われた人たちが他にもたくさんいます……」
「僕は、それ以上の人々を殺めてきた。理由もなく、歓喜すら覚えて」
「お願いです……そんな哀しいこと、おっしゃらないで下さい」
「哀しい? ――哀しみを覚えたのは僕じゃない。ティアだ。僕は彼女の主も殺した。彼女は、そんな僕にすら仕えねばならなかった。僕がヴァハトの資質を持っているという理由だけで。彼女に課せられた掟とやらのためだけで。冗談じゃない」
 そこまで言ってから、いや違うな、とエアハルトは呟いた。紫煙を吹き出す。苦笑に近い――否、それよりももっと泣き顔に近い笑みを浮かべた。
「僕は――僕が、ティアを見ているのが辛いのかも知れない……。はは、結局自分のためだな」
「エアハルト様……」
 エアハルトはまだ幾度も吸っていない細巻を地面に落とし、踏みにじった。
「なんにせよ、僕の最後の仕事だ。ケルバーを守るために戦い、進み、斃れるだけさ」
 それ以外にも責任の取り方はあるが、とエアハルトは胸の内で思った。彼はわざと酷薄な表情を顔に貼り付け、手を振った。
「もういい、話は終わりだ。君にも仕事はあるだろう」
 エミリアはこらえ切れずに一筋だけ涙をこぼし、一礼すると速足で天幕を出ていった。
 
 出ていったエミリアは泣きながら走り去っていく。
 リーフとティアは、それを見遣ることしか出来なかった。
 二人の会話は、囁きに近い声音だったために聞き取ることもできなかった。
 
 一人きりとなった天幕の中で、エアハルトは静かにテーブルに腰掛けた。もう一本細巻を取り出し、再び燻らせる。
 彼らを守りたい、か。大層な御題目だ。嘘ではない。しかし真実でもない。何かを成し遂げたい、それも嘘ではない。
 結局、僕は。……いや、もうどうでもいい。
 屍山血河を作り上げてきた僕が、己の命を含めてまた血の河を作り出すだけだ。
 結局僕は、そういう男なのだ。