聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争
24『委任』
西方暦一〇六〇年四月八日《竜舌蘭亭》/王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部
高級料亭である《竜舌蘭亭》。最も奥まった部屋には、五日前から予約が入れられていた。そして夕刻になろうという頃、三名の男女が来店し、通された。室内には既に料理と飲み物が用意されている。
「お……俺もこれを被るのかい?」
レイフォード・アーネンエルベは呻くように訊ねた。
「規則よ」
フェスティア・ヴェルンは素っ気無く答えた。しかし、怜悧な容貌には小さな微笑みが浮かんでいる。
今日の彼女はいつものように《レルーベル》商店で着ているような平服ではなく、薄青色を基調とした宮廷魔導院勅任防諜魔導官の正装――ローブをまとっていた。
「あー、つまりだね、レイくん」
軽い響きを伴った声が響いた。宮廷魔導院特務公安局、ケルバー支部副管理官カーヅェル・ベルクラードは、伊達者のような風貌に微笑みを浮かべてレイフォードに講釈を垂れて見せた。
「宮廷魔導院に属する者は、関係者以外の者と出会うときにはこの仮面を被ることになっているのだよ、うん。まああれだね、昔からの伝統というのもあるし、保安上の問題(顔がバレないのはいいことだよ)とかもある。あとは神秘性の保持かな。この仮面、怪しいだろう? 神秘的だよねえ、うん」
ぺらぺらとカーヅェルは続ける。レイフォードは、この軽薄そうな男が恐るべき副管理官――フェスティアの右腕としてケルバーを支配しているとは到底信じられなかった。
「ええと、つまるところ何が言いたいのかというと」
カーヅェルは結論するように人差し指を立てた。
「被りなさい、レイくん。規則だから」
遠回りだったな――レイフォードは諦めたように頷きながら思った。
照れたように頬を染めながら、気合を入れて人狼を模した仮面――勅任防諜魔導官の正装――を被る。それを見届けて、フェスティアとカーヅェルも仮面を被った。全員、薄青色のローブをまとっている。
「彼らから呼び付けたのに遅いね」
カーヅェルは出窓に置かれた刻時器に視線を向けた。フェスティアが忌々しげに答えた。
「奴らはいつもそう」
「落ち着いて」
すぐにカーヅェルは口を挟んだ。フェスティアが異常なほど教会関係者を嫌っていることは、ケルバー支部の公然の秘密だ。
「誰が来るんだい」
レイフォードはくぐもった声で訊ねた。護衛として呼ばれたのはいいが、この会合が何なのかは知らされていない。
「ケルバー修道会の教令長よ」
フェスティアは答えた。平素の口調に戻ってはいるが、声音には陰がある。
「つまり、伝道局の地区管理官。諜報活動の総元締めということさ」
カーヅェルは苦笑を浮かべて継いだ。
「たぶん、ブレダの動きについての情報交換だと思うけど」
「確かに――」
フェスティアの言葉はノックの音で中断された。カーヅェルが告げた。
「どうぞ」
ドアが開かれた。ふくよかな中年女性と、魅力的としか言い様のない女性が入室する。中年女性は見慣れた純白の法衣。女性は対照的に漆黒の法衣をまとっている。
「遅れて申し訳ありません」
中年女性が詫びた。
カーヅェルが隣に座るレイフォードに囁いた。
「年上の方が教令長のセシリア・コルヴェルス司祭殿、見目麗しいのは――名前は知らないが、漆黒の法衣を着ている以上は信仰審問官だ。気を付けろ」
レイフォードは小さく頷いた。
「いろいろと所用がありまして」
「お構いなく、コルヴェルス司祭」
フェスティアが鷹揚に頷いて見せた。先程までの声が嘘のような柔らかな声音だ。
「食事の用意はできています」
漆黒の法衣をまとった女性がそれを受けて立ち上がり、グラスを廻した。シャンパンを注ぐ。
「ケルバーの平穏に」
「乾杯」
ひどい皮肉だな。一息でグラスを飲み干したカーヅェルは思った。
それから三十分ほど、食事をしつつ世間話で時間が消費された。社交辞令と美辞麗句のやり取りに、レイフォードは胸がむかついた。仮面があって助かった――しかめ面がバレなくて済む。
「さて、本題に入りましょう」
セシリアがナプキンで口を拭き、一口冷水を含んでから告げた。室内に緊張感が満ちる。
「まず、ブレダ王国の動きについての認識は一致していると思います」
セシリアの言葉に、フェスティアは小さく頷いた。応える。
「王立諜報本部の動きは確認しています」
詳細については口にしない。宮廷魔導院の能力について察知されるようなことを、伝道局に知られるわけにはいかないからだ。
「なるほど」
セシリアは柔らかな微笑みを浮かべた。フェスティアの考えなど先刻承知といった風情だった。もちろん、ともにお互いの能力について現実に近い推察がついていることは口にしない。
「人員増勢については共通認識を持っているということですね。さて、その対応についてですが――」
イニシアティヴを取るつもりか、フェスティアはその頭脳に相応しい鋭敏な感覚で思った。
組織は自己保存と自己拡大を本能として持っている。自己保存についての説明は不要だろう。望んで滅びたがる集団(組織)などない。自己拡大は――これもまた必然だ。己の権能の拡大について、聖典庁は人後に落ちない。でなければ、本来別組織であるエステルランド修道会に正真教教会が介入するわけがない(その浸透度は実に八割を超えていた)。
ケルバーにおいても、対ブレダ防諜作戦の主導権を握る――それを宣言するつもりか、とフェスティアは考えた。そして、そのままなし崩しにケルバーにおいての優位を認めるわけにもいかない、と。
「配置人員、さらに情報収集力の差異等々を勘案した場合、我々にも効果的な協力ができると思います」
フェスティアは機先を制するため、セシリアの言葉に口を挟んだ。直接的に“我々に任せてもらおう”というような物言いはしない。なにしろ、建前上はバルヴィエステ王国は同盟国家であり、友好国だ。そしてそれは聖典庁にも適用される。
一瞬、セシリアの口許が歪んだ。それはほんの一瞬で、気づいたのはカーヅェルだけだった。聖職者らしからぬ笑いだな、と思う。
「そうですね。ここは王国自由都市です。土地柄、そして組織力を考えれば、あなたのおっしゃる通りだと思います。もちろん、微力ながら我らも協力できることは可能な限りさせてもらいますが」
「……」
フェスティアは沈黙した。意外の念に駆られる。セシリアの言葉は実質的な委任――ケルバーにおける宮廷魔導院主導での防諜活動を認める言葉だったからだ。
カーヅェルが誰にも聞こえない溜息を漏らした。先走りしすぎたなと思う。フェスティアらしからぬ誤断だ。いや、漆黒の法衣を目の前にして落ち着いていられない彼女の性格まで見越したうえでの策略か? まさか。考えすぎだろうな。
では彼らの狙いはなんだ。カーヅェルは考えた。対ブレダ作戦の放棄? 馬鹿な。彼の国に対する敵愾心は宗教的なもので、我々よりも強いはずだ。ならば。ならば。煙幕に使うつもりか。どうしてそうする? 何か、我々が掴んでいないブレダに対する情報を持っているのか? 畜生。情報が足りない。推測すら出来ない。
カーヅェルが我に返った時、すでにフェスティアとセシリアの会話は終わりかけていた。連絡符牒の確認や人員配置の確認に移り変わっていた。戸惑うようなフェスティアの声音が、傍からでもわかる。
畜生め。我々が前線に立たねばならないのだな。カーヅェルは奥歯を噛みしめながら決意した。
ならば。イニシアティヴを握ったのならば。
好きなようにさせてもらおう。聖典庁が口出しできぬように。