聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争

23『ケルバー保安部』

 西方暦一〇六〇年四月六日
 王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部

 ヴァルチャー――禿鷲。賞金稼ぎを意味する俗語。
 どこか陰湿な響きを感じさせる。堅気の仕事ではないのだから仕方ないのかもしれない。
 しかし、意外なことに“賞金を稼ぐ”ことだけが彼らの仕事ではなかった。もちろんそれが主ではあるが、年がら年中“賞金首”を追っているわけではない。
 場所によっては、それ以外のことを仕事にすることもある。
 例えば、ケルバーだ。
 
 ケルバーにおけるヴァルチャーは、二つの意味を持つ。
 “賞金稼ぎ”と“治安維持官”だ。
 大都市ケルバーは、犯罪組織にとっての黄金の果実である。流入する人々、物資を目当てに数多くの者たちがそこに群がる。賭博、人身売買、窃盗、強盗殺人……。
 対する治安維持組織は、その規模、活動ともに心許なかった。エステルランド王国における治安維持組織、王国保衛本部ケルバー支部は義理程度に置かれているに過ぎず、属する衛士たちもその大半が買収されていた。もちろんケルバー独自の治安維持組織――《竜牙》連隊衛兵隊も存在しているが、続出する犯罪に対応するにはあまりにも規模が小さかった(わずか一〇〇名足らずだった。元々連隊内の保安任務が主であるから当然ではあるが)。
 結果、リザベートが決定したのは、《禿鷲の巣》と定期的に年間契約を結び、一定の人員を治安維持任務に投入することだった。
 《禿鷲の巣》にとって悪い話ではなかった。大口の契約であり、また安定した巨額の報酬が手に入るのだから。
 ケルバーにとっても同様だった。《禿鷲の巣》と契約することによって、技術・能力ともに一定以上の人員が投入されるのは、新たに治安用の組織を造り、鍛え、維持するよりも楽で安価なのだった(年間契約金自体も、更改の際の厳密な評価・査定によって年ごとに上下することになっていたのだから尚更だった)。
 合意の結果、《禿鷲の巣》ケルバー支部に一つの部署が設置された。
 ケルバー保安部――ヴァルチャーたちによる警備・捜査組織である。
 
 ケルバーの新派真教教会以北一帯は、近年のツェルコン戦役による混乱によって旧ハウトリンゲン公国から流入してきた人々――有り体に言ってしまえば難民の居住区となっている。もちろん、急激な人口増加に社会基盤が追い付かないため、ある種のスラム――貧民窟と化していた。当然のごとく衛生・治安ともに悪く、ケルバーの新たな都市問題となっている。
 この、貧民窟――最も目立つランドマークから〈ウェルティスタント・ガウ〉と呼ばれる地域には、ありとあらゆる悪事が横行している。
 当面のケルバー保安部の課題は、この地域の浄化であった。
 
「――〈ウェルティスタント・ガウ〉の一画、材木問屋の倉庫街が今回の舞台よ」
 がたごと揺れる幌馬車、その荷台で無闇に仁王立ちする少女――ケルバー保安部事務員・シャロンが告げた。見栄のつもりか、無理して立ってるために大きな段差に車輪がかかるたびに倒れそうになる。
「ええっと、相手は東方辺境領の密輸組織と、ケルバーの〈ヤグァール〉。今日の夕刻に取引が行われるというタレコミが――きゃん!」
 大きな振動。シャロンはずるぺたーんと転倒した。荷台に乗り込んでいた男どもは呆れた顔のまま、起き上がるのを待った。
「……こ、これが連中の似顔絵。生け捕りにしてね。流通路を聞きださなきゃいけないんだから、殺すのはダメよ――抵抗しない限り」
 ゆっくりと立ち上がりながら物騒な台詞を言うシャロン。彼女は荷台に座る男たち――ケルバー保安部治安官たちに書類を回した。
「ひーふーみーよー……全部で六人。それにプラスして護衛がαっと……現地の見取り図がありゃいいんだが」
 荷台に座る男たちの一人――ケルバー治安官のミック・フォードが似顔絵をぺらぺらとめくりながら訊ねた。シャロンが答える。
「設計図取り寄せるだけで当たりをつけらるちゃうわ。表と裏を固めて、あとはあなたたちの臨機応変さにお任せ、ってこと」
「うへえ。もうちょっと予算廻して治安官増やしてくれよ〜」
「うるさいうるさい! だったら一人で一〇〇人挙げて、契約更改の時に発言してよ」
 シャロンが反論する。荷台の中で最も年長者の男が手を叩いて無意味な会話を止めさせた。
「騒ぐな子供たち。いつものように出入口周辺を制圧してから突入する。表はミック。裏はジンだ。双方の確保が終わった段階で、内部へ押し入る。スピードが勝負だ。いいな?」
 荷台に太く短い返事が満ちる。年長者――ケルバー保安部捜査班長、バルス・ヴァイパーは洒落者を思わせるにこやかな――それでいて凄みに満ちた顔に笑みを浮かべて見せた。
 彼の部下たちはみな若い。ヴァイパー自身は三〇代前半だが、彼らは二〇になったばかりといった者たちだ。ミック・フォード。ヴァルレイル。ジン・ホルス。捜査班と称するのもはばかられる陣容であった。予算不足(そう言って悪ければ、少数精鋭主義)でたった三名。仕方がない。ケルバー保安部設置の際には、王国保衛本部から嫌がらせも受けたし、竜牙連隊衛兵隊もいい顔をしなかった。まあ同業者の縄張り争いというやつで、どこにでもある問題だ。しかし人員なら金を払えば他のヴァルチャーを雇えるし、いざとなれば“取り引き”で衛兵隊を呼ぶこともできる。要は量ではなく質ということで――
「班長、もう少しで〈ウェルティスタント・ガウ〉です」
 御者の声にヴァイパーは意識を戻された。
「わかった。全員降りろ! 降りろ! 降りろ! 単独行動で現場まで前進!」
 治安官たちが止まりきらぬ馬車から降りる。シャロンが声を掛けた。
「はんちょー! あたしは現場近くで待機してます。逃げた奴がいたら轢いときますから」
 返事の変わりに、ヴァイパーは親指を立てて見せた。
 
 〈ウェルティスタント・ガウ〉は、その名の通りケルバー北部にある新派真教教会が入口であるかのように北へ広がっている。とはいえ新派真教教会からすれば迷惑千万な通称であり、当地の祭司が城伯に対し抗議しているのも当然だ。
 難民たちと、それを目当てに開かれる闇市。立ち並ぶ娼館(と呼ぶのもおこがましいようなボロ家)。孤児。混雑を極める街路。
 
 ジン・ホルスはここを訪れるたびにやりきれなくなる。それは特に、空腹を抱えながら道端に座り込む孤児や、どう考えても望んでしているとは思えない娼館の娼婦たちを見たときに強くなる。当然かもしれない。彼自身も似た境遇で過ごしたからだ。
 ジンは首を振りながら、脚を速める。自分が彼らを救えるとは思えない。直接的な手法では。自分にできるのは、彼らを食い物にするような連中を片っ端から絞首台に送ることだけだ。そう。全員を一掃することだけなのだ。
 
 ミック・フォードはジン・ホルスほど純粋ではなかった。彼はヴァルチャーとしてケルバーに登録する前に、嫌というほどこの世の現実を思い知らされていたからだ。地獄とまでは言わないが、それに近い経験もしている。遥かなるバルヴィエステで。
 だからといって、この区域に暮らす人々の境遇に同情をしないわけではなかった。いや、その種の感情は多いほうであろう。だからこそ彼は治安官としてここにいる。でなければ今頃は漆黒の法衣を着ていたはずだ。
 ミックは、暗い雰囲気だけが満ちる路地を歩き続けた。物乞いの声、娼婦の演技めいた媚態に満ちた呼び声には反応しない。同情は内心に留めるだけ、憐愍は示さない。それは、彼があの暗く冷たい地下施設で学び、唯一受け入れた処世術だった。すべては行動で示せ――彼が憎み、(認めたくはないが)敬っている男はそう言った。たぶんそれは真実だ。だからこそ、彼はここにいる。自分に為せることをしている。
 
 ヴァルレイルはヴァイパーとともに街路を進んでいる。
 《禿鷲の巣》フェルゲン支部長レオーネ・ベルベットの命令でケルバー保安部に配属されたヴァルチャーであるヴァルレイルは、まだ単独行動を許されるほどの(治安官としての)経験を積んではいなかった。彼は余りにも不安定な存在――それがヴァイパーの第一印象で、また事実でもあった。この青年は、どこか現実と自分を上手く擦りあわせることが出来ない。知識は豊富だが、それをうまく用いることが出来ない。つまり、子供のような一面を強く残していた。冷静沈着というよりは感情表現が出来ないタイプ。情動を管制することもできない。
 ヴァイパーが付いていなければ、何をするかわからない恐ろしさがあった。
 しかし、その戦闘能力は折り紙付きである。ミックやジンに互角の戦いを挑める。だからこそより一層気を使わねばならないのだが。
 
 ヴァルレイルとヴァイパーは定位置についた。倉庫街の入口。
 ヴァルレイルが先行。人の往来を確認し、取引場所へと近づいていく。ヴァイパーが後方を確保。奥まった場所に当該倉庫を見つけた。入口には二人。五〇メートル向こうからでもろくでもなさが漂ってくる。多分裏口にも同様の配置が為されているはずだ。
 別経路から接近したミックが、無音手話でヴァイパーに合図を送った。前進のサイン。
 ミックはよろりと倉庫への小路に入って行った。わざわざ薄汚れた格好と化粧までして、酒壜まで手にしている。酔っ払いのような動作。よろよろと二人の元へ近づいていく。
 見張役の二人は、顔をしかめながらミックに近づいていく。ミックは足がもつれたように倒れ込んだ。
 声を掛ける。
「おい兄ちゃん――」
 蹴りを入れながら男はミックを起こそうとした。
 一瞬だった。
 ミックの腕を掴んだ男は、そのまま手首を握られ、捩じられ、倒される。もちろん手首の間接を極めたまま。鈍い音。手首が明後日の方向に向いている。激痛の余り声すら出せない。
 不用意に近づきすぎたもう一人は、地面すれすれに繰り出された回し蹴りで倒された。間を置かず二人はミックの拳で鳩尾を殴られ昏倒する。ミックは縄で二人を捕縛しながら、待つ二人に合図を送った。
 ヴァルレイルとヴァイパーが走り寄る。扉の前で立ち止まり、ヴァイパーは左耳に嵌め込んだ《遥かなる声》を指で二、三度叩いた。返事が戻る。
「ジンです。裏口を確保。行けます」
「一分後に突入」
 ヴァイパーは懐から刻時器を取り出した。よし。
 ミックとヴァルレイルは、縛り上げた二人を適当な倉庫の中に突っ込んだ。息を整える。ミックは邪魔な外套を脱いだ。手甲の具合を確かめる。ヴァルレイルは腰に下げている鞭の握りを確かめた。同じく息を整える。ヴァイパーは二人の様子を見遣りながら、腰に下げた小剣の柄に手を遣った。大きく深呼吸。小さく、しかし強い響きで命じる。
「行け!」
 ミックが扉を蹴破った。ヴァルレイルが疾風のごとき動きで突入する。
 ヴァイパーが倉庫内に入った時、既にヴァルレイルは二人の男の腕に鞭を絡ませていた。ミックが流れるような動作で身動きの取れぬ男どもを殴り倒す。ヴァイパーは奥へと走った。
 林立する材木の在庫。迷路のように入り組んだその中間辺りに空間がある。机、中年の男が数人。その周りに剣を下げた若者が数人。記憶と合致する。
「ケルバー保安部だ! 動くな!!」
 ヴァイパーは叫んだ。護衛役の若者は、それで動きを止めるはずが無かった。即座に剣を抜き、奇声とともにこちらへ向かってくる。
 こんな狭い空間で長剣を抜く若さに罵倒の笑みを浮かべつつ、ヴァイパーは腰から小剣を抜いた。
 護衛の繰り出した長剣は、林立する材木に引っ掛かった。一瞬動作が止まる。次の瞬間、ヴァイパーの平らに構えた小剣が胸部に突き刺さる。肋骨の間を抜け内蔵に到達した感触。そのまま小剣を捻る。若者は嘔吐するような呻きを立てて絶命した。視線を奥に向ける。中年の男たちは残りの警護の者に守られながら裏へ廻ろうとし――悲鳴を挙げて戻ってきた。奥から姿を現したのは、燃え盛る剣を手に迫るジン・ホルスだ。
「手向かうなとは言わない。そうすりゃ正当防衛できるからな」
 ジンは凄みのある笑みを浮かべて告げた。
 昏倒した二人の男を引きずりながら、ミックとヴァルレイルも到着する。
「麻薬取締および禁制武器密輸の現行犯で――あ、こら!」
 ヴァイパーの言葉の途中で、警護役の男の一人が剣を抜いた。最も年若そうなヴァルレイルに襲い掛かる。
 ヴァルレイルの反応は早かった。鞭を離した次の瞬間、彼の手は手品とすら思えるような素早さで小剣を握っていた。僅かな上半身の動きだけで相手の剣を掻い潜り、そのまま小剣を男の肩に突き刺した。悲鳴。戦意喪失の呻き。しかし動きは止まらない。拍手が起きそうなほど見事な動きでヴァルレイルは肩に突き刺した小剣を抜くと、そのまま首を掻き切ろうとして――横に吹っ飛んだ。ミックが遠慮のない蹴りをかましたのだった。
「やりすぎだっつうの――あ」
 吹き飛んだヴァルレイルは材木の下敷きになっていた。
「ああなりたくなけりゃ、大人しくしな」
 ヴァイパーは冗談めかした声で背後のやり取りを指さす。
 
 抵抗する者はいなかった。
 
 ヴァイパーの指示を受けたシャロンの通報で、倉庫街に衛兵隊が集まった。現場検証と密輸商品の検分が始まっている。
 一方、ケルバー保安部は……
 
「無茶しすぎよ、ヴァル」
 馬車の中で、保安部唯一の負傷者ヴァルレイルはシャロンの手当てを受けていた。
「ごめん」
 抑揚のない声で彼は答えた。彼は体中に擦過傷と打撲を負っていた。もちろん犯人との格闘で負ったものではない。材木の下敷きになったときのものだ。その隣ではミックが申し訳なさそうに鼻を掻いている。
「いや、無茶というか――こいつ、どうもやり過ぎなところがあってだな……」
 ミックの言葉は、シャロンの一睨みで止まった。
「だいたいミックがやり過ぎなのよ! 止めるのに蹴りかます人がいる!?」
「いや、条件反射というか……アレだよ、アレ」
「彼はまだ保安部のやり方に慣れてないんだから、もうちょっと優しくしてあげてよね」
「……はい」
 うなだれるミック。
 その馬車内の様子を見て、ヴァイパーとジンは小さく笑った。
「しかしまぁ……」
 ヴァイパーは細巻をくわえながら呟いた。
「あの密輸品、見たか」
 ジンは頷いた。
「武器、武器、武器……しかもロイフェンブルク製のものばかりでした。戦争でもする気なんスか」
「なぜ〈ヤグァール〉がこんなに武器を欲しがっているのだろう」
「誰に売ろうとしていたのか、それが問題ッスね」
「尋問は……衛兵隊待ちか」
 深い溜息とともに、紫煙が吐き出される。
 
 後世の別の視点から見ればケルバー保安部が取り扱った、何でもない一件が、それから数週間の混乱の序曲だと言えただろう。
 しかしその時の彼らは、それに気づかなかった。
 
 書面への記入が終わった。衛兵がそれを確認し、頷く。
「ロキシア……レーンネーゼさんですね。御用は?」
「独立祭が近いでしょう?」
 衛兵は破顔した。
「そうですね。ハイデルランド地方一の賑わいですよ、独立祭は」
「ええ、楽しみにしているわ」
「期待は裏切りませんよ、お嬢さん。ケルバーへようこそ」
「ありがとう」
 入国管理所から出た女性は、どこか鋭い目で大都市を眺めた。
「ケルバー、か」
 チェックを受けた弩弓を背負い直し、彼女は呟く。
「畜生」
 その呻きは、誰に向けられたものなのだろう。