聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争

21『役者たち』

 西方暦一〇六〇年四月三日
 王都ドラッフェンブルグ/ブレダ王国本領

 ブレダ王国王都、ドラッフェンブルクに静寂が訪れることはない。
 それは、人口が多いことだけが理由ではない。詩的な形容ではなく、現実的に街のあちこちに騒音源が存在しているからである。鎚を振るう音、鋸で材木を削る音、人足たちの怒声と掛け声が、強弱の振幅はあれどこかで響いているからである。
 即物的な表現が許されるなら、ドラッフェンブルクは昼夜兼行の工事が行われているのだ。
 その原因は、ブレダ王国建国と同時に発令されたゲネラル・ベバウウンクス・プロイエクト――あるいは首都名にちなんだ俗称『ドラッフェン・プロイエクト』――と呼ばれる総合建築計画である。
 それは、史上最も大規模で野心的な国家工事であった。ハイデルランド地方を支配する霸王に相応しい王国の中枢を置くべく、意図的な破壊と再生が行われていた。王国宮廷府工務輔弼局は一〇八五年の完成を目指している。それが叶えば、新王都ドラッフェンブルク(工務輔弼局では、新王都に「新たな」を意味する“ノイ”を付けるかどうか論争が巻き起こっていた)は大陸に二つと無い堅牢無比の要塞都市にして最も巨大な行政機能の集約地点となるはずであった。
 
 もちろん、『ドラッフェン・プロイエクト』は、首都の最も象徴的存在――王城も対象外とはしない。いや、力を傾注する建造物のひとつであった。
 覇王の居城として《ドラッフェン・シャンツェ》の呼称を与えられた旧ハウトリンゲン公国主城は、かつての威容を失っていた。まるで攻城戦を繰り広げた直後の砦のように見えた。ここは最重点改装建造物として、多数の人員を投入して規模拡張工事を行っていた。原型と比べるなら、およそ四倍近い大きさを誇ることになる。規模拡大は権能の誇示云々という理由だけではなく、篭城戦に際して戦術的縦深を確保するという軍事的理由もあった(巨大になった王城防衛のためだけに一個軍団が編成される予定になっていた。逆に言えば、それだけの部隊を配置しなければ守れないのだが)。
 現在、《ドラッフェン・シャンツェ》は王城としての機能を完全に発揮してはいない。そこはガイリング二世の居城として“だけ”の存在に過ぎず、行政機能――宮廷府は、改装の目処が立つ一〇六二年までは《ドラッフェン・シャンツェ》の外周に建てられた旧ハウトリンゲン公爵公館に移転されている。
 
「御無沙汰しております、レナ・カスターニュ閣下、ルナ・カスターニュ様」
 ブレダ王国貴族にとっての礼装である軍装を纏った青年が、薄く笑みを浮かべて一礼した。
 ここは宮廷府公館の一室。歓談などに用いられる応接室のひとつである。陳情などの接見などにも使われる。
 今日、ここを訪れたのは見目麗しい双子の女性であった。王国北方領貴族、カスターニュ侯爵令嬢たちである。とはいえ、ただの娘ではない。妹であるレナはカスターニュ侯国軍総司令官であり、姉のルナは侯国宮廷魔導師だ。才媛と評すべき女性たちであった。
 オクタールとヴァルターの美しさを(カスターニュ家はもともとハイデルランド王国の貴族であった)凝縮したかのような容貌には、交渉で最も威力を発揮するはずの笑みとは程遠い表情――凍り付いたかのような無表情で固まっている。
 彼女たちに対する軍装の男――宮廷府軍務補佐官、王国騎士ラディス・ハークエンスは、交渉用の微笑みを崩さずに言葉を続けた。彼女たちの表情には触れない。
「北方大演習以来ですね、お会いするのは。御健勝で何よりです」
「挨拶などどうでもよろしいのです、ラディス卿」
 レナは硬化した表情のまま、応えた。
「先だって書状で訊ねたことについて、御返答願いたい」
「急いておられるのですな、閣下?」
 小さく笑ってハークエンスは揶揄した。余裕のある態度だ。宮廷序列においても、軍内階級においてもレナの方が遥かに上だが、現在の彼の役職が宮廷府軍務補佐官――国王直属の勅任官だからかもしれない(従って侯爵位や軍内階級差などは、権威などは発生させても実効力は持たない)。
「しかし、その件については同様に書状で御返答申し上げたはずです」
「軍機の一言で片付けるおつもりか」
 レナは編み上げた艶やかな黒髪を苛立たしげに振りながら呟いた。
「我々が常に北狄の圧力を受けていることは御存知のはず。一個旅団でも割けられない状況で、最高指導本部は五個旅団も北方領軍に派遣せよと命じるつもりか」
「五個旅団も、ではなく五個旅団だけ、と表現していただきたい」
 一転して、素っ気無い声音でハークエンスは応えた。
「カスターニュ地方の状況に鑑みて、派遣軍勢の数を減らしたのです。“戦乙女”の二つ名で兵の信頼厚い閣下であれば、残りの軍勢で北狄の侵攻に耐えられるはず。いや」
 ハークエンスはじっとレナを見詰めた。
「耐えてもらわねばならないのです。それを前提として計画は動いています」
「計画?」
「残念ですが、それについて述べることはできません。書状に認めたはずです、軍機だと。これは陛下と宮廷府の決定です。そして苦渋の決断であったことを推察してください。併せて述べるならば、小官も閣下と同様に、北方領に領国を任された者です。北狄の脅威は充分に理解しています。しかし、物事には優先順位というものがありますので」
 再び、彼は表情を微笑みに変えた。しかし、細められた目の奥に光る瞳は、ぞっとするほど冷たい。レナは傍らに座り沈黙を続けていたルナに目配せをした。自分と同じ顔をしたローブ姿の女性は、小さく頷いた。
「どうしようもない、ということだな」
 レナは溜息混じりに言った。誰もが好感を抱くであろう容貌を持つ将校は深々と頷いて見せた。
「それが、陛下の意志です、閣下。残念ながら」
 
「なんて嫌な男」
 揺れる馬車。薄いカーテンで閉ざされた窓から差し込む淡い陽光に照らし出されたレナの横顔には、舌打ちしたげな表情が浮かんでいる。
 不首尾に終わった陳情の帰り。彼女たちは自領へ戻るべくその日のうちに帰途へ着いていたのだった。
「ラディス卿のこと、レナ?」
 ルナはうつむきがちのまま、訊ねた。
「そうよ。あの男の顔を見た? あいつ、うわべだけ微笑んで何を考えているかわかりやしない。それに、あの冷たい目。何も信じていないような目。人間とは到底思えないわ」
「王都の人間だからでしょうね。王国貴族とはいえ、辺境暮らしのわたしたちとは住む世界が違うわ」
「騎兵軍指導本部が絡むような計画。北方領の辺境警備からすら戦力を引き抜くような計画。軍機」
 旧派真教の教典を読むようにレナは言った。「何だと思う? ルナ」
「わたしが調べただけでも、北方領内のあらゆる方面から軍勢がいくつか抽出されているわ。でも、行き先は不明。徹底した箝口令が敷かれているみたい。計算してみたんだけど、概算でも一〇万以上の軍勢がどこかに移動していることになるわ」
「一〇万。総軍の六分の一も? はん、第二次進攻というわけね」
「でしょうね」
 ルナは妹の聡明さを讚えるように相槌した。軍勢が行方不明になっているということは、出撃陣地への移動を始めているということなのだろう。そして、最低でも一〇万の軍勢を投じて倒すべき敵は、ブレダにとって一つしかない。
「我らにとっての問題は」
 窓から差し込む陽光によって照らし出されたルナの容貌の右半分は、笑ってはいなかった。
「残るカスターニュ侯国軍――一〇個旅団でどれだけ北狄を抑えきれるか、ということね、レナ」
「守ってみせるわ」
 決意を込めた視線で、レナは妹を見詰めた。
「進攻戦に参加する領民たちのためにも。故郷を守りきってみせるわ」
 
「着々と舞台は整いつつある」
 妖艶な声が暗い室内に響き渡った。暖炉の中で爆ぜる薪と、その上に置かれた燭台の明かりだけが唯一の光源だ。照らし出されたのは、暖炉の側のテーブルでタロットに興じるローブ姿の女性と、窓際で空を眺める男装の麗人のみ。弱々しい月明かりに映える銀色の髪が、ゆっくりと振り返る。目許を彩る化粧が、麗人の異質な美貌を際立たせていた。麗人は唄を謡うように言った。
「緒戦は間違いなく我らが勝利を収める」
「炎は、すべてを灰燼に帰す」
 ローブの女性が、神託を告げるように応えた。どこか虚ろな――魂の所在を疑わせるような声だ。
「手配りは終わった。あとは実行に移すだけだ」
 麗人は氷を思わせる微笑みを浮かべる。
「しかし、《竜伯》は手強い。幾つかの《星》もかの地に集結しつつある」
「《星》とて、弱き人間に過ぎぬ。いかに強大な力を持っていようと」
「然り。しかし、計画の遅延は可能な限り防がねばならない」
「《揺らぎ》もまた、現し世の因果律だ」
「それでは困るのだ、“夢見る預言者”よ」
 麗人は苦笑する。「我らが――《天秤》が何のために苦労を重ねたのか」
「“泥髪王”の勝利と栄光のため」
 ローブの女性は告げた。麗人が月を見上げ応える。
「ああ、そうだな。勝ってもらわねば困る。国力で四分の一の国家を総力戦で勝利させるためにどれだけの準備をしたと思っている?」
「“暗き魔女”よ」
 ローブの女性は薄く微笑んだ。
「心配する必要はない。炎は、すべてを、焼き尽くすものだ」
 
「たかだか竜の使い魔ごときが、何様のつもりなんだか」
 《ドラッフェン・シャンツェ》内の一室、客間のソファでグラスを傾けていた男装の麗人――ブレダ王国宮廷府筆頭補佐官、マレーネ・デュッセルドルフは嘲笑うように吐き捨てた。
「エロイーズとロヴレンドが、陛下の仇敵を屠ってきたのは事実だからな。ブレダ建国、その幾割かの功績が己にあると思っているのだ。その自負が言わせるのかもしれん」
 短く刈り上げた髪と武張った顔の男が応えた。
「小さな功績だこと」
 マレーネは“暗き魔女”という二つ名そのままの、暗い情念に満ちた笑みを口許に貼り付けて呟いた。
「我らの計画に比べ、何と卑近な。たかが一国の興亡ごときで」
「その我らとて、そのすべてを知るわけではない」
「“黒獅子”よ、それは何か事実に基づいての言葉か?」
 “黒獅子”と呼ばれた男――ブレダ王国北領軍将軍、第一三北方領胸甲騎兵親衛連隊長シグムント・ローゲンハーゲンは表情を変えずに応えた。
「推測だ、もちろん。しかし嫌な感じがする。《天秤》がすべてを握っているとは思えない」
「陰謀史観というやつね、それは」
「騎士の考えるべきことではないな、それは。すべてが陰謀で紡がれているなら、もう少し世の中は単純だろう。気にするな、戯言だ」
 シグムントは立ち上がった。
「貴公も征かれるのだな」
「殿下のためだ」
 マレーネはグラスを掲げた。
「武運を祈らせてもらおう、“黒獅子”よ」
「感謝する。しかし、問題なかろう。三〇万の軍勢、奇襲、そして殿下が指揮がされるのだ。勝つよ、間違いなく」
 シグムントは客間を歩み去った。一人残されたマレーネは、ブランデーの薫りを楽しんだ。
 《天秤》がすべてを知るわけではない。やれやれ、歴戦の武人殿は勘が鋭くて困る。そうだよ、“黒獅子”。貴公の言う通りだ。ブレダ一国の勝利では困るのだ。せいぜい戦場で踊るがいい、闇の存在よ。“戦姫”とともに。血と炎を拡大させるのだ。