聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争

19『秘命』

 西方暦一〇六〇年三月一〇日
 セプテントリオン本部/黒い森

 それは視認することはできない。彼が常人である限りは。だから、それは在って、そして無きに等しい。
 薄暗い森の一角。ここではないどこか。
 現世と幽玄の狭間に存在する幻の建造物。
 己が血に眠る資質に覚醒した者たちの集いし場所。拠り所にして、最後の砦。
 セプテントリオン。
 そこは元力使いたちの城塞。元力使いたちの霊廟である。
 
 建造物の中心棟、テラスが設けられた三階部分にセプテントリオンの首領、“七色の魔法使い”リヒャルト・シュヴァルツの執務室がある。しかし、そこまで通される者はごくわずかだ。大抵の者はその一つ前に設けられた接見室で、彼の娘にして首席補佐役ともいえるゲルダ・シュヴァルツと会うことしかかなわない(それすらも珍しいことなのだが)。
 しかし、例外は常にある。今日、ここを訪れた者もそんな希少な存在の一人だった。
 
「久しぶりね、ルヴィン」
 窓一つ無い接見室、しかし真昼の輝きに彩られた室内でゲルダ・シュヴァルツは訪問者を迎えた。秀麗な顔にわずかな微笑みを浮かべている。
「そうだね、ゲルダ。五か月ぶりかな?」
 ルヴィン・ナーフィルは頷いた。少年の面影を残す容貌には、隠しきれない疲労感が貼り付いている。彼は任務のために送り込まれた場所から直接この本部に出向いてきたのだった。
「御苦労様。本当なら休ませてあげたいのだけれど、残念ながらこの世はいつも問題に満ち溢れているのよ」
「困ったもんだ」
 ルヴィンは諧謔の微笑みを浮かべて、芝居がかった仕草で肩をすくめた。室内に浮かべられた光源――輝精たちに視線を移し、続ける。
「まあいいさ、我が師の命であればどこへでも。奥にいるのだろう?」
 ええ、とゲルダは頷いた。
「先客がいるわよ」
「先客? へえ」
 珍しい、とルヴィンは思った。基本的にセプテントリオンに所属する元力使いたちは何らかの使命に従って世界各地を巡っている。余程のことがない限り、この城塞で複数の元力使いが鉢合わせることなどなかった。
 執務室に続く扉、その手前に設けられた姿見で埃だらけの長衣の胸元や胴周りをはたく。
 軽く髪を整えてから、ノックをした。
「入れ」
 重みのある声が返る。ルヴィンは扉を開け、入室した。
「久しいな、ルヴィン。任務は首尾よく果たしたと聞いている。御苦労だった」
「ありがとうございます、我が師リヒャルト」
 ルヴィンは執務室の奥、窓の前に置かれた執務机に座る壮年の男に対して恭しく一礼した。彼が唯一、忠誠と敬意を捧げる人物――セプテントリオン首領、リヒャルト・シュヴァルツは、威厳に満ちた容貌に小さな微笑みを浮かべて頷いて見せた。
「やはり、情報は事実だったか?」
「はい。テロメア公国では、同胞たちに対する宥和工作が行われています。少なくとも、当地に存在する元力使いたちの三割に対して、はっきりとした接触を取っていました」
 リヒャルトは溜息を一つついた。
「どう思う、“風の息”よ」
「当地の公爵、カルルマン・テロメアは切れ者で知られています」
 ルヴィンはびくりと肩を震わせ、背後を振り返った。いつの間にか、応接ソファに座るローブ姿の青年がいた。彼の視線を受けた青年は、にこりと微笑む。
「彼は一昨年に爵位を継承するまでの間、単身諸国を巡っていたという異色の経歴の持ち主です。恐らくその旅の間に我々の存在に気づいた。そして、有効な道具足りえると考えたのでしょう」
「宥和政策か……我らにとってはありがたいことだ。しかし――」
「はい。彼が友愛と平和の理念に従って行っている保証はどこにもありません」
「どちらに転がるにせよ、監視は続けるべきか」
「と、思われます」
 ローブ姿の青年は立ち上がり、ルヴィンに歩み寄った。高い知性を思わせる瞳には、小さな敬意が表れている。どこか人懐っこい顔に笑みが浮かんでいた。右手を差し出しつつ、彼は言った。
「はじめまして、“虹の紡ぎ手”。真の元力使いにして“七色の魔法使い”の最も若き直弟子よ。あなたの名は伺っていました。わたしは“風の息”ジョンです」
 呆気にとられたような表情のまま、ルヴィンは差し出されたローブの青年――ジョンの手を握った。
「“風の息”は、元力の研究を専門に行ってきた男だ。まあ、学者といっても差し支えないだろう」
「よ……よろしく」
 リヒャルトの言葉を受けつつ、ルヴィンは言葉を返した。それから、はっと何かに気づいたように振り返り、リヒャルトに正対する。
「我が師よ、ここに呼ばれたことと、彼を紹介したことは何か関係があるのですか」
 重々しくリヒャルトは頷いた。
「ケルバーだ」
「ケルバー……?」
「お前たちにはケルバーに赴いてもらう」
「何か起きたのですか」
「起きたのではない。起きるのだ、ルヴィン・ナーフィル。彼の地に聖痕が集いつつある」
 リヒャルトの父性的というほかない容貌に、深い陰が落ちた。
「恐らく、史上稀に見る戦いが始まるであろう。お前たちはそこに赴き――事態の推移を見守るのだ。今後数年の動静を、そこでお前たちに見極めてもらう。大任だぞ、間違いなく」
「監視……ですか」
「そうだ。そこで起きるのは、我らの運命をも巻き込む巨大な組曲、その序曲となろう。それを見守り、見極めねばならない。我らが最終楽章に奏でるものが何であるのかを知るために」
「……」
「行け、ルヴィン。そしてジョンよ。我らが歓喜の歌を唄うために」