聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争
14『傭兵』
西方暦一〇六〇年三月一四日王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部
リーフ・ニルムーンは暇だった。
シュロスキルへの新たな住人となったエンノイア・バラード、大柄でひどく美しい青年が現れてから、リーフの周囲は慌ただしいものとなった。
彼らが何を行っているのか、詳しくは聞かされていない。聞くつもりもなかった。もちろん好奇心はあったが、彼らの態度は冗談や軽口を叩くのもはばかられるようなものだったので差し控えた。
しかし、そんな彼女の殊勝な態度もそろそろ限界に達していた。五日余りも放っておかれているため、不満が溜まっていたのだった。
そんなある日、シュロスキルへの中庭にある庭園でぶらついていたリーフは、久しぶりに“連れ”を見つけた。
「エア!」
四阿で休んでいたのは、エアハルトだった。当然のように傍らにはティアがたたずんでいる。さらに意外だったのは、そこにエミリアもいたことだった。ふたりは何か深刻な表情で会話していたが、リーフの声に気づくと、表情を改めて手招きした。
「何話していたの?」
「うん、昔話をちょっとね」
エミリアは席を立って、頭を下げた。
「では、わたしはこれで」
「え? あ――そう」
リーフは怪訝そうな顔で彼女を見遣った。エアハルトも小さく頷いた。
「失礼します、ニルムーン様」
恭しく一礼して、エミリアは去った。その後ろ姿を見詰めつつ、リーフは呟いた。
「本当にいい娘よねぇ……」
「おばさん臭い言い方だね、リーフ」
苦笑交じりにエアハルトは言った。
「なによ……。それにしても、最近何をしていたの? 忙しそうだったけど」
「忙しかったよ。色々手配りをしなきゃならないことがあったからね」
事実、彼の柔らかな造りの顔のには、薄く疲労感が貼り付いていた。
「戦争なのね」
「ああ、戦争だ」
「勝てるの?」
軍事の素人ゆえの気安さで、リーフは率直に訊ねた。思わずエアハルトは笑った。途端にリーフの可憐な容貌に不満そうな表情が浮かんだ。
「なによぅ……」
「何をもって勝利と呼ぶか、だね。短期的には敗北するよ、間違いなく。なにしろブレダは大国で、ケルバーは戦争遂行に欠くことのできない重要な策源地だ。僕らがどう足掻いても対抗できないほどの軍勢を差し向けるだろう。しかし、絶対に奪還するつもりだ。そういう算段で計画を進めている」
「負けるとわかっているのなら、初めから戦わなければ誰も傷つかないわよ?」
余りにも直截な言葉でリーフは言った。彼女は意識していなかったが、その言葉にはどこか、非難の響きがあった。彼女は戦士でも兵士でもない。戦争は常に忌避すべきものだったからだ。そして、その言葉は一面真理であった。
エアハルトの眉根がほんの少し寄せられた。苦しげな表情だった。彼が口を開きかけた瞬間、傍らのティアが応えた。
「ケルバーは王国自由都市です」
リーフはティアの怜悧な――それでいて憂いに満ちた顔を見詰めた。
「そして自由を保持するには、義務を果たさなければなりません。この街に住む人々の義務とは、己の身を己で守ることです。全滅するまで戦うことはありませんが、その気概を王国に見せ付けなければなりません。でなければ、独立した意味を為さない。自由と独立について何かを述べる資格を無くしてしまいます」
「そう、自由の代償。義務のためさ。その愚かな理由だけで、僕らは戦わねばならない。ブレダ王国軍と、たった一個旅団で。ひどい博打だろう?」
ティアの言葉に続けて、エアハルトは吐き捨てた。自嘲の笑みを浮かべている。
「でも、この街には守るべき人々がいる。理由がある。ならば、剣を取らなければ。たとえ愚かな理由であろうとも」
血を吐くような台詞だった。
リーフは手を握り締めた。顔をうつむかせ、後悔する。そうだ。彼は《防人》。あまねくものたちを守り抜くことを背負わされた人。掟と誓いに縛られた囚人……。たとえ愚かな理由であっても、そこに守るべき人々がいるのなら戦わなきゃならない。
「ごめんなさい、責めるつもりで言ったんじゃないの」
「……わかっているよ。僕も君に当て付けのつもりで言ったわけじゃない」
微笑をたたえてエアハルトは呟いた。話題を変えるように、わざと明るく告げる。
「これから傭兵募集事務所――《竜牙》連隊本部に行くつもりなんだけど、君も来るかい? 色々な人たちがいるはずだから、暇潰しにはちょうどいいと思うけど」
まったく……。リーフは微笑みにほんの少し呆れをまぶしながら頷いた。
本当に、どこまでも優しいヤツなんだから。
貴族は、すべからくその領地に見合った規模の兵団を保有することを許されている。
ただし、王国からの金銭的支援が行われるのは伯爵領以上が持つことを許される最小戦略単位――連隊からだ(それ以下の規模は、すべて自壗で行わねばならない)。連隊規模の部隊となると、軍旗を持つことを許され、さらに名誉称号も下賜される。被服、装備、棒給の一部も国家予算で賄われる。貴族にとって悪い話ではない。
その代わり戦時になると、常備連隊は王国軍令本部の指揮下に置かれることになる。国王の勅命が下ると軍制上、彼らは貴族の私兵から神聖王国軍に編入されたことになるのだ。つまり、その指揮官たる貴族は、独自に部隊を動かすことが不可能になる(あくまで王国軍令本部から下される命令、その範囲内でしか自由に動かすことができない)。
王国と貴族、その双方にとって利点がある。相互補完する形で、予算上最も金を食う常備兵力を整えることができるからだ。
ケルバーの西に広がる広大な麦畑――その外れに広がる一見牧羊地にもみえる敷地が、《竜牙》連隊駐屯地だった。練兵場と兵舎はあるが、いささか粗末だな造りだ。仕方がなかった。ケルバーは軍事力ではなく、経済力と情報によって活路を見出していた。連隊に予算をほとんどまわしていないのだ(維持していたのは、連隊の基幹兵力と治安維持用の衛兵隊のみだった)。
しかし今、そこには数多くの傭兵たちが集まっている。
駐屯地は急造の傭兵募集事務所と化していたのだった。
長蛇の列をなす傭兵たちの間に、小さなざわめきが広がっていた。その少なからぬ者たちの視線が、とある一人に向けられている。驚愕。嫌悪。そして恐怖。
彼らが見遣っていたのは、異形の仮面――口許より上を覆い隠す仮面――の剣士だった。小柄ではないが、体格のよい男どもの中では埋没してしまいそうな身体つき。その剣士は女性だった。使い込まれた胸甲を着込み、その上から硬くなめされた革製のマントを羽織っている。背中には、体格に比してひどく大きめの大剣。全身からは、どこか枯れた雰囲気が漂っていた。厭世――いや、虚無感か。
傭兵たちは囁く。
「おい……“死神の従者”だぜ」
「あの、リーか」
「死を呼ぶ悪魔……」
「やべえぞ、おい。ここも激戦になるのかよ……」
「畜生め、俺っちの運もここまでか」
仮面の剣士はそのすべてを無視した。表情は無論、仮面に隠され窺うことはできない。
しかし、わずかに覗く素顔――形のよい唇は皮肉そうに歪められている。
彼女の名はリー。傭兵たちの中で、伝説に等しい武名を挙げている女剣士であった。その武名も、決して誇らしげに掲げられるものではなかったが。
挿絵:孝さん
彼女がいつ戦場に姿を現すようになったが、正確に述べられる者はいない。ある者は併合戦争からだと言うし、それに反駁するように、いやあの若さじゃ、ツェルコン戦役の当初からだろうと言う者もいる。極端な者は、あのアイルハルトの――伝説の統一戦争からだと言う。すべて戦場で――あるいは酒場で語られることだから、どれが事実だと断定することはできない。
すべてに共通しているのは、彼女の戦場は、どこも激戦で敵も味方も大損害になるということだ。戦いに勝利することよりも生き延びることを重視する傭兵たちに忌み嫌われるのもむべなるかな、であった。
リー自身は、そのような囁きなど気にはならない。もとより自分が望んで激戦にしているわけではないのだ。自分は傭兵であり、その職能を生かすために戦場に赴くだけ。それをとやかくいわれる筋合いはない。
死を振り撒く悪魔? 剣を携え、戦う意志を持つ者はすべからくそうではないか。自分のことをそう評する傭兵どもは、また自らもそうだという自覚がないのだ。
彼女の内心の思いが、滲み出ていたのかもしれない。マントがわずかに引っ張られた。
リーは背後を振り返る。そこにはまったくこの場にそぐわない少女がいた。
小柄な体格。吹けば折れそうな少女。危うげな儚さに満ちた容貌、どこか透徹した雰囲気。そして特徴的な木の葉のような耳。森人だ。リーのマントの端を握り締め、心配そうな表情で彼女を見上げている。少女は、リーの連れであった。今のところは。
「どうしたの、ウェンディ?」
内心の思いとは正反対に、優しげな声でリーは訊ねた。
しかしウェンディと呼ばれた森人の少女は、押し黙って彼女を見上げたままだ。仮面越しに見詰めあうふたり。やがてリーは諦めたように溜息をついた。唇の端を柔らかく持ち上げる。
「……ごめんね、ちょっといらついちゃって」
ウェンディはゆっくりと首を振った。ぎこちなく微笑んでマントから手を放す。
もう一度リーは微笑みを浮かべ、少女の髪を撫でた。この少女は本当に機微に鋭いところがある。
「うわぁ〜、すごい一杯だね……」
《竜牙》連隊駐屯地の営門に辿り着いたリーフは、練兵場を眺めるなりそう呟いた。
確かにそうだった。練兵場には、うねるように列ができている。目算で一五〇〇名程度か。まだ募集をかけて日が浅い。最終的には三〇〇〇名は訪れるはずだ。エノアとリザベートは、そこから選抜した二〇〇〇名程度の傭兵を連隊の中核戦力にしようと考えていた。残りは志願兵――あるいは徴募した兵士で補う。
さて、どうだろう。エアハルトは腰にさげた長剣の柄に拳を置きながら思った。
この中で、これから起こる最悪の戦闘に耐えられる者がどれぐらいいるのか。
視界に入る列の中には、歴戦の猛者にも見える者からごろつき崩れにしか見えぬ者まで、雑多な人々がいる。中には少年、あるいは少女の姿も見える。恐らくは傭兵になりたてなのだろう。エアハルトは顔を少しだけ歪めた。
子供。子供まで戦わせる戦争に大義などあるものか。
柄に添えられた拳に、柔らかな感触。ティアがそっと小さな手を重ねていた。
「マスター。彼らが選んだ道です」
まるで内心を見透かしたかのようにティアが囁いた。視線はエアハルトと同じ者に注がれている。
「わかっている」
彼女の手を優しく除けながらエアハルトは応えた。
「だからといって、許されるわけじゃない」
本部に向けて歩き出す。ティアは主の背中を見詰めた。ほんの少し彼の掌の温もりが残る手を握り締めながら、哀切に満ちた視線を送る。ほとんど泣いているかのようだ。
あなたは、余りにも優しすぎます、マスター。あなたはすべてを守ろうとしている。それは《防人》としての掟。理想。でもマスター、その生き方は――危険です。これまでの《防人》が陥った、奈落へと落ち込む陥穽です……。
「あなたも――あなたもわたしを置いて逝ってしまうのですか」
ティアは小さく呟いた。それはエアハルトに届くことはなかった。
じろじろとリーを眺めていた視線が、いつの間にか別のものに向けられていた。
それに気づいた彼女も、彼らの視線の先を追った。そこには妙に明るい雰囲気を放つ少女と会話を交わす男が立っている。どちらも傭兵のようには見えない(いや、男の方は剣を差している。ということはやはり傭兵か、とリーは思った)。
男の方はひどく柔和な印象を抱かせる顔つきだ。一見すると気のいい商家の次男坊のようにも見える。しかし、数知れぬ戦場を渡ってきたリーにはすぐにわかった。それはあくまで外面だけだと。あの男は強い。負けるとは思わないが、勝つにはひどく苦労させられるだろう。
いや、何を考えているのだ。リーはわずかに首を振った。あの男は敵ではない。たぶん募集に応じてきた傭兵か、連隊の関係者なのに。しかし、どうしても気にかかった。同じ匂いを感じる。脳髄を引っ掛かれる感触。
視線を感じたのだろうか、男が視線を送った。垂れ気味の目は、恐ろしいほど輝いている。視線は射るようにリーを貫き、次いで傍らのウェンディに向けられ――そこで止まった。
ウェンディもそっと、その男の視線を受け止めていた。リーは男の眼が大きく開かれ、それから苦痛に耐えるように奇妙に歪められたのを見て眉をひそめた。
「知り合いなの、ウェンディ?」
リーは小さく訊ねた。ウェンディは首を横に振った。
「会ったこと、ないわ。でも……」
リーフは、会話の途中で突然エアハルトが表情を変えたことに気づいた。
それも、見たことの無い驚愕と――苦痛の顔だ。
「どっ、どうしたの!? お腹痛いの?」
エアハルトは黙ったままだった。リーフは慌てる。遠くから弓で射掛けられたのかとすら思い、彼の背中にまで見た。幸い矢は刺さっていない。
エアハルトは苦痛に耐えるかのように拳を握り締めていた。力を入れすぎているために、皮膚の色が白くなりかけている。
「エア!」
リーフは彼の耳の側を大声を出した。エアハルトは初めて傍らのリーフに気づいたかのように肩を震わせ、見遣った。
視線を受け止めたリーフも、肩を震わせた。彼女を見詰める男の眼は、今まで見せたことの無い余りにも凶悪な輝きだった。いや――一度だけ同じ眼を見たことがある。自分とエアハルトの邂逅。闇に塗れた村での悲劇。虐殺と悲鳴。
――殺戮者。
「……エアハルト」
声を震わせ、リーフはもう一度彼の名を呼んだ。まるでそれが呪縛を解く合図であったかのように、エアハルトは瞬きをした。瞳の輝きが取り戻される。
「――あ……リーフ……僕は……」
新たな驚き。エアハルトの言葉、そして態度は、これまで見せてきたものとは全く違うものだった。そこに立つのは、彼女を守ってきた優しい剣士ではなく、憐れなほど狼狽する子供だった。
リーフの表情にそれが表れていたのだろう、エアハルトは顔をうつむかせ握り締めていた拳をゆっくりと開きながら小さく息をついた。再び顔を上げた時には、平素と変わらぬ態度と表情に戻っていた。
「ごめん、取り乱して。さ、本部へ急ごう」
「どうしたの?」
リーフは彼の顔を覗き込みながら訊ねた。いつものような微笑みを浮かべて、エアハルトは応えた。「ちょっとね。なんでもないよ」
そう、とリーフは頷いた。もちろん好奇心はある。しかし彼の声音には、再び訊ねることを拒絶する響きがあった。彼女は諦めた。ちょっとね、なんでもないよ。いつもそう。彼は、すべてをその言葉で拒絶する。柔らかな態度。でもその下の心は、鋼鉄で閉ざされている。
(過去)
唐突にリーフは思った。足早に本部へ向かうエアハルトを追い掛ける。列に並ぶ傭兵たちに比べれば、大きなものではない彼の背中を見詰める。
そう、過去だ。きっと過去の何かを思い出したのだろう。あたしには無いもの。取り戻したいと思っているもの。彼にとっては何なのかしら? 重荷? 枷? それとも……呪い?
リーはわかった。わかってしまった。わたしには与えられないものが、あの剣士には遠からず与えられてしまうことに。匂い、雰囲気、表現はどうでもいい、ともかくわたしには“わかる”。わかってしまう。
「彼は――遠からず死ぬわ」
ウェンディは、リーのマントをぎゅっと握り締めた。呟く。
「でも……あのひと……わたしと同じ」
森人の少女は、虚ろな声音で続ける。
「こころの中は、哀しみと絶望でいっぱい。生きることが悲しくて、哀しくて……死にたがっている。最後の救いをもとめている」
「救いは、もう少しで与えられるわ」
リーが吐き捨てるように呟いた。
「……わたしには?」
ウェンディの言葉に、リーは押し黙った。この少女に、それを告げるわけにはいかないから。
その日、リーは《竜牙》連隊の傭兵――ケルバー旅団兵士として採用された。採用を推したのは、あの剣士、エアハルトという男だった。君は、僕の直率する小隊に入ってもらう。男はそう告げた。