聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争
07『前線視察』
西方暦一〇六〇年三月一二日早朝第八戦区/ザール戦線/ミンネゼンガー公国/エステルランド神聖王国東部
ブレダ王国とエステルランド神聖王国の領土をわける地形的領土分割線――ザール川。ここは、二年前の侵攻戦で熾烈な激戦が繰り広げられた場所だった。現在、ザール川一帯には七個騎士団(ミンネゼンガー公国軍二個、傭兵軍五個)が貼り付いている。ブレダ王国軍侵攻に対する初期対抗部隊としてだ。彼らの任務は、遅滞防御――可能な限り敵の進行速度を遅らせること。つまりは捨て石と表現してよい。傭兵軍に至っては、侵攻予測地域に重点的に配備されていた。あまりにもあざとい部隊配置だった。
本格的な逆襲は、ザール戦線後方一〇キロに配置されたエステルランド神聖王国近衛軍によって行われることになっている(彼らが後方に配置されている理由は、機動防御のための予備隊という他に、士気に怪しげなところがある彼らを督戦するため――退却させないための意味合いがある)。王国軍令本部が言うところの「戦力の有効活用」、その具象化というわけだ。
第八戦区。ザール川の中ほど、最も川幅が狭くなる場所を範囲に含めている。当然、最重点警戒地域だ。ここに配備されているのは第二二二特戦騎士団第三〇八特務旅団。小〜中規模な傭兵団のほか、個人傭兵などをかき集めて無理矢理に編成した傭兵軍だ(もちろん、旅団司令部及び上級指揮官を構成するのは正規将校――神聖王国軍人だったが)。
第三〇八特務旅団は全長二〇キロに及ぶ戦闘正面を担当していた。全てをカヴァーするには、一個旅団では心許ない。したがって旅団司令部は兵力を前面に貼り付ける愚は犯さず、警戒装置としての前哨を配置し、後方に機動防御用前衛中隊を置くことに決めた。
コウ・エールス・バートリーは日が昇る直前に野戦司令部が置かれた天幕から出た。
短衣姿のままだったが、体温と毛布で暖められていた彼の身体は、まだ震えるほどの寒さを感じてはいない。しかしそれも数分しか持たないだろう。
この時期、ハイデルランド地方北部は未だ冬将軍の支配、その末期にあった。感覚が麻痺するほどの極寒ではないが、そうであるがゆえに身体の芯が凍えるような底意地の悪い寒さだ。おまけに朝方は五メートル先すら見えなくなるような霧が発生する。この時期だと、天候によっては昼過ぎまで霧はザール川一帯を覆う。寒さもそうだが、やはり戦争の季節ではない。
「早いのね……」
どこか気怠げな声が背後からした。声の主が誰か、振り向かずともコウはわかっている。
天幕から姿を現したのは、きっちりと装備をまとめた女剣士だ。綺麗に切り揃えられたショートへアが、端正な容貌を際立たせている。形式上は彼の副官に相当する傭兵、アエリアだ。
「上からの命令はここの監視だからな。今日から新しい軍監(傭兵・公国軍など、王国正規軍ではない部隊に派遣される正規軍将校のこと。後世で言う連絡将校に相当するが、この時代では監視役の意味合いが強い)殿が来るらしいから、“いい子”らしくしておかないとな。馬鹿らしい、こんな季節に攻め込む愚か者がいるものか。王国軍の連中、戦争の仕方を全く知らん。お役所仕事じゃあるまいし……」
コウは野性味溢れる顔に侮蔑の笑みを浮かべ、粗野な言葉遣いで毒づいた。アエリアはすべてを理解しているかのように、慈母にも似た柔らかい微笑を浮かべている。彼のそれが部下たち――一筋縄ではいかぬ傭兵たちに舐められぬための演技であることを知っているからだった。
「アエリア、前哨に伝令を出せ。軍監殿が巡回に出る前に起きろとな」
「わかったわ、コウ」
コウは小さく笑った。諧謔味に満ちた笑みだ。
「アエリア。当分の間、俺は中隊長殿だぜ?」
アエリアは微笑んだ。わざとらしく姿勢を正す。
「了解しました、バートリー中隊長」
挿絵:孝さん
傭兵軍での階級は、本来傭兵たちの間で決定される。しかし、それは小規模な編成に限られる。その程度であれば、力比べや信頼関係で決められたものでも構わないからだ。小集団での勝敗を分けるのは、指揮よりも個人的戦闘力だからである。
しかし大規模な――たとえば旅団編成(エステルランド神聖王国軍では定員七〇〇〇人)のような作戦行動単位ともなると、そうはいかない。大規模になれば彼らの行動は戦場だけではなく、戦争に対して影響を及ぼすからだ。となれば必然的に部隊指揮官にはある程度の作戦・戦略思考を理解する能力が必要となる。
エステルランド神聖王国は傭兵軍を募集した際、神聖王国正規軍将校に求められるだけの知力と知識があるかを試験した。結果、年齢に関らず作戦指揮が可能な者はすべて部隊指揮官に任命された。
コウ・エールス・バートリーもそのひとりだ。彼は第二二二特戦騎士団第三〇八特務旅団第三八一連隊第一三中隊長に任命されている。部下は二六九名。二四歳の個人傭兵にしては破格の扱いだと言ってよい。しかし彼は士官教育に加え高等教育まで受けていた、この時代の人間としては希少な存在であったため(採用を担当した募兵官は、彼が貴族の係累なのではないかと報告していた)、問題をはらみつつも割合すんなりと今の地位についた。
もちろん反感を抱く者は多い。女――アエリアを連れ歩いていることもそれを補強した。しかし彼は、ある側面において果断なきらいすらある傭兵でもあった。
着任当日、部下の性格を見極めたコウは、自分に強い反感を持つ者のなかで絶対にそりが合わない者をピックアップし、わざと彼らの前で挑発的な態度をとった。わざと相手を怒らせ、力を見せ付けることで反抗心を押さえ付けようと思ったからだ。だがそれは、極端な結果を生みだすことになった。指揮官の天幕に呼ばれた者たちのひとりが、アエリアを罵倒する言葉を発したのだった。
悲鳴を聞き付けて天幕に駆け込んだ他の傭兵たちが目にしたのは、血の池と化した天幕と六人分の肉塊。それと酸鼻極まる情景の中、表情一つ変えずに立ち尽くすコウの姿だった。
コウは買い物を頼むような気安さで傭兵たちに肉塊を掻き集め、どこかに捨てるよう命じた。
第一三中隊は鉄の規律を手に入れた。誰もコウに逆らおうとはしなくなった。当初、中隊を支配していたのは恐怖ではなく、コウという青年が持つ、どこか底知れぬ薄気味悪さへの嫌悪感だった。
しかしそれも、幾度かのブレダ王国軍との小規模な交戦の中で消え去っていった。コウは巧みな指揮と己の剣の腕で幾度も勝利をもぎ取ったからだ。昨年、第一三中隊は合計で三〇回にも及ぶ戦闘を行ったが、戦死者はひとりも出さなかった。彼は徐々に指揮官としての敬意を得ることとなった。傭兵は、強力な敵よりも愚かな味方を嫌うからだ。
自分たちをくそったれな戦争の中で生かしてくれる有能な指揮官を嫌う理由があるだろうか? 傭兵独自の嗅覚でそれを嗅ぎ取った彼らは、薄気味悪さを胸の底に潜ませつつコウに忠誠を誓った。
一〇六〇年の三月、彼は自分の中隊を己の手足のように扱うことに満足していた。
朝日が昇りかけた頃になって、新しい“軍監”殿は第八戦区に姿を現した。
“軍監”殿は、コウに向かって第三〇八特務旅団付き軍監、アーネフェルト・フォン・ティーガァハイムだと告げた。
コウは驚いた。ティーガァハイムといえば、エステルランドの譜代と言っていい名門貴族だ。
眉目秀麗なだけでなく、才気溢れる(コウにとっては)始末に終えない“貴族様”だ。エステルランド神聖騎士にして、フェルゲン近郊にあるティーガァハイム王室領を統治する伯爵家の当主でもある。正直、コウからすれば何を好き好んで前線に出てるのか理解に苦しむ男だった。
「御苦労、バートリー中隊長」
中隊本部に姿を現したティーガァハイム伯爵は、神聖騎士の証たる純白のケープを外しながらコウを労った。ケープの下には、防具というよりは美術品を思わせる鎧。下らない見栄というやつか、嘲笑を堪えつつコウは労いに頷いて見せた。
「では前線に御案内いたします、閣下」
「前任者は巡回の度に前線を視察していたのかね?」
「は? ええ、はい」
ティーガァハイムは忍び笑いを浮かべ、首を振って見せた。
「この天候で何を確認しろというのだ? 構わんよ。伝令を出して前哨で文句を垂れている兵たちを休ませたまえ。少なくとも霧が晴れるまでは」
コウはしばし唖然とした。しかしすぐに微笑みを浮かべてアエリアに頷いて見せた。
「どうやら、ようやく上はまともな人を送ってきたようですね」
アエリアが天幕を出た直後、わざとコウは砕けた口調で訊ねた。彼の人物眼は、ティーガァハイムという男が物分かりのいい男だということを見抜いていたのだ。
「世の中、馬鹿ばかりではないということだ。貴族にだってまともな人間はいる。それは貴公がよく理解しているのではないか?」
意味ありげな視線でティーガァハイムはコウを見遣った。中隊本部内にある中隊長用の椅子に断わりもなく座る。コウはそれを咎めはしなかった。ティーガァハイムには、そういった態度を当然と思わせる気品と傲慢さがあった。つまりは“貴族の風格と威厳”。それはコウがかつて故国で嫌というほど味わったものだ。
「現状はどうなのだ?」
ティーガァハイムは腕を組みながら訊ねた。
「二月の頭に斥候が侵入した後は何も。まあ、時期が時期ですから」
「例年通りなのか?」
「〈霧の季節〉に攻め込んだところで、混戦になるだけです。メオティア会戦みたいにね」
「卓見だな」
コウの言葉にティーガァハイムは頷いた。
エステルランド公国とハイデルランド王国の戦争である『ハイデルランド併合戦争』において、最も熾烈な戦闘となった第一次ハイゼン会戦――俗称メオティア会戦。メオティアの森に住む森人が発生させた霧によって視界不良となった戦場でエステルランド公国軍とハイデルランド王国軍が衝突した会戦の結果は両者にとって惨憺たるものとなった(ちなみに、このように敵情不明のまま突発的に始まる戦闘のことを、軍事用語で不期遭遇戦という。敵情は敵味方ともに不明であるから、どれほど努力してもいきあたりばったりとなり、損害が激増する)。
メオティア会戦では、両軍は戦闘加入させた部隊の八割を失った。もちろん『ハイデルランド併合戦争』において最も被害が大きかった戦闘だ。
以来、軍人たちにとってメオティア会戦は反面教師となった。不期遭遇戦はやたらと損害が出るだけ。戦術の放棄に等しい。
「ではやはり、ことが起こるとすれば四月中旬以降――春季攻勢からというわけか」
「まあ、常識的に言えば」
「常識。なるほど、まことに卓見だ」
新派真教の教典を読んでいるかのようにティーガァハイムは応えた。
「何か?」
「いや。貴公のような傭兵をここに置くのはまさに軍事的人材浪費というやつだな。どうだ? 貴公さえ良ければ神聖騎士にならないか?」
「お断りします、閣下。わたしは今の状況を気に入っておりますので」
失礼します、と涼やかな声がした。アエリアが戻ってきたのだった。コウは労るように彼女を一瞥した。ティーガァハイムは鼻を小さく鳴らせた。「なるほど」
「何ですか?」
むっとした風に顔を小さくしかめたコウに、ティーガァハイムは小さく笑って見せた。
「いや、貴公の心情も理解できる」
ティーガァハイムは席を立った。ケープを手に取り、再び羽織る。
「わたしにも愛する者がいる。それを大切と想うのは人間として至極当然だ。ただし、任務を忘れない限り、だが」
「公私はわきまえますよ」
「ならばよいのだ」
ティーガァハイムは微笑んだ。どこかいびつな微笑みだな、とコウは思った。