聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争

06『状況証拠』

 西方暦一〇六〇年三月八日
 王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部

 交易の結節点だけあって、ケルバーには数多くの商店が軒を連ねている。エステルランド全域に支店を持つ大店はもちろん、零細と呼ぶに相応しい小規模な個人店まで。
 その中に、石材の輸出入を取り扱う《レルーベル》商店がある。売上はまあまあ。ブレダ北東部から切り出された石を輸入し、エステルランドへ輸出する中規模な店だ。ラダカイト商工同盟の書類ではそうなっている。店員の大半もそう思っている。
 もちろん実情は違った。
 《レルーベル》商店幹部と店員の一部(店長を含む)は、副業を営んでいた。彼らは副業を行っている時、別の呼び方をされている。
 勅任防諜魔導官――。
 彼らは、エステルランド神聖王国が誇る史上最強の防諜機関、宮廷魔導院の諜報工作官なのだった。
 
 フェスティア・ヴェルンは、《レルーベル》商店において評判の少女だった。客に応対する時には笑顔を絶やさず、話術も巧みなものだった。顧客の中には、彼女を目当てに注文を行う者もいるくらいだ。息子の嫁に、という誘いも時折ある。つまりは看板娘というわけだ。
 三月八日の正午、彼女は同僚たちに食事に出ると断って店を出た。陽光を眩しそうに受け止めつつ、道すがら露店を冷やかしながら食堂に向かった。その様子は全く屈託が無いように見えた。とても尾行警戒のための行動には見えなかった。
 飲食店が並ぶルーベル通りのとある店に入った彼女は、奥まったテーブルに腰掛け、野菜スープとパン、ハムサラダを注文する。
「相席いいかな?」
 注文の品が届く前に、彼女と同じ年の頃の少年が声を掛けた。フェスティアは周囲を見回して、店内が混雑していることを確認すると頷いて見せた。初対面を装って、当たり障りのない世間話をする。給仕が歩み寄り、少年の注文を取った。
 五分後に彼女の、その四分後に少年の注文の品がテーブルに並べられた。給仕が離れたことを確認したフェスティアは、口調を切り替えて言った。
「御苦労様、レイ」
 同席した少年――レイフォード・アーネンエルベは小さく頷いて見せた。旅装姿の彼は、ひどくくたびれた格好をしていた。かなり長期に渡る旅をしてきたのだから当然ではあった。彼は密偵――宮廷魔導院実働班に雇われたパートタイム・エージェントだ。つい先日までブレダ王国南方域に潜入していたのだった。
「あちらはどうだった?」
 フェスティアはサラダをフォークで突きながら訊ねた。声は小さい。周囲の雑音に紛れがちだ。
「大したことは――ああ、つまり君たちが言うような“決定的証拠”というものは、なにも。ひどく防諜態勢が強化されていてね。あちらの同業者……王立諜報本部だっけ?
 間者どころか僕たちのような“元力使い”の潜入にまで神経を尖らせていた」
「それが有益な状況証拠ね」
「何が?」
「つまり、彼らは見られたくないことを始めている」
「みんな忘れがちだけど、今は戦争中だぞ? 神経を尖らせているのは当然じゃないのか?」
 フェスティアはわずかに苦笑を浮かべた。年齢に相応しからぬ表情だった。
「人間が一日中ずっと気を張り詰めていられないように、組織も継続してすべてを見張れるわけではないわ」
 レイフォードは、へえ、とでもいうように目の前の少女を見遣った。歳はほんの少ししか違わないのに、ひどく老成した印象を受けたからだ。
 視線に気づいたフェスティアは、恥じ入るように頬を赤らめながらうつむいた。少し慌てたような口調で、食事をするように勧める。その間も会話は進められた。
「目が腫れぼったいな。寝てないのか?」
「ここ数週間のケルバーは異常よ。毎日どこかで誰かが死んでいる。絶対に身元がわからないような連中ばかりが。つい先日には、旧派真教徒が五人も殺されたわ。全員、心臓をひと突き」
「物騒だな……犯人は?」
「被害者は、我々が捕捉していたブレダ側密偵と接触を繰り返していた者たちばかり。いずれうちの執行班が動くつもりだったんだけど、まだ命令は出していなかった。そして、死体が発見される前日に、ケルバー修道会から公用馬車で逃げた司祭がいたわ」
「……犯人は、正真教教会関係者?」
 フェスティアは視線をスープに据えたまま頷いた。どこか沈欝な表情だ。

フェスティア「……犯人は、正真教教会関係者?」
挿絵:2RI氏


「それも悪名高き聖典庁信仰審問局よ。あの黒い悪魔たち。情報漏洩と名誉の失墜を恐れて“神罰”を与えたのでしょうね」
 信仰審問局。レイフォードも風の噂で聞いたことはある。背徳・背教者と“闇”を鏖殺するためだけに存在する、黒い法衣をまとった神徒たち。一騎当千の戦闘司祭による殺戮集団。
「でもまあ、君たちとしても悪い話じゃないんだろう? なにしろ君たちにとっては敵と通じている裏切り者だったんだから」
「――手を下した審問官は、わたしの兄なのよ」
 ぽつりと少女は呟いた。
「……本当?」
「監視に付いていた密偵が教えてくれたわ。ケルバーから旅立った審問官は、銀色の義手を持っていた、と。宮廷魔導院が把握している審問官の中で、その特徴と一致するのはただひとり。フェルクト・ヴェルンだけ」
「……」
 レイフォードは礼儀正しく沈黙を守った。恐らくこの問題は彼女にとってひどく私的な話だと思ったからだ。レイフォードは手早く食事を終えると、精算を終えて店を出た。俺は当分、ここに逗留する。何かある時はいつものように連絡してくれ。
 フェスティアは頷いた。誰もいなくなったテーブルで、沈黙を守る。
 
 ……すべて教会のせいだ。教会が、わたしから兄を奪った。兄から平穏な生活を奪った。兄の両手は血に塗れている。教会の――救世母の栄光のために。許さない。絶対に、許さない。
 
 もちろん、彼女は自分の感情に任せて行動を起こすような愚か者ではない。
 当面の敵は、まずブレダ王国。しかしその次は正真教教会だ。絶対に、兄を解放して見せる。
 
 宮廷魔導院特務公安局ケルバー支部主任工作統括官、フェスティア・ヴェルンは決意した。とても私的で、だが重大な決意だった。
 そしてその決意は、この戦争の後半で大きな転機をもたらすことになった。