聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争
04『忠告』
西方暦一〇六〇年三月一四日夕刻聖典庁本営/教皇領ペネレイア/バルヴィエステ王国
教皇官邸から聖典庁本営のあるマーテリア・シュトラッセまでは、徒歩でおよそ一五分。
夕暮れ迫るペネレイアのその通りを、二人の神徒が歩いていた。ともに美しい少女であった。聖女という形容が似合う少女たち――助祭ユミアル・ファンスラウと司祭リーフィス・レイチェルウッドだ。
ふたりは、教皇官邸接見室で教皇自ら与えられた辞令を受け取ったばかりだった。そしてともに、聖典庁本営へと戻る途上であった。
〈救世母の季節〉とはいえ、この時間帯ではさすがに少し肌寒くなる。ふたりは、法衣の襟元を押さえながら足早に歩いていた。
「……やっぱり、まだちょっと寒いですね」
リーフィスが囁くような声で言った。そしてちらりと上目遣いでユミアルを一瞥した。小柄な彼女に比べ、ユミアルは頭一つ分大きかった。
「……そうですね。でも、あと一週間もすれば本格的に暖くなりますよ」
ユミアルは階位に従って、敬語で答えた。しかし表情は、リーフィスの心遣いに感謝するように笑みで彩られている。
「そんなに、司祭ヴェルンの補佐を外れたことが寂しいのですか?」
リーフィスは訊ねた。新たな辞令を受け取ってから、ユミアルは傍から見ても明らかに落胆していた。それがリーフィスにとっては疑問だった。だからこそ、“寂しい”などという直接的な表現で訊ねた。
受け取った資料、さらには接見室でまみえたわずかな時間で受けた印象が示しているのは、あの男――フェルクト・ヴェルンがとてつもなく異常な存在であるということだった。
「寂しい?――寂しい、そうかもしれません」
ユミアルはうつむいた。背後の地平線に沈みかけている太陽が作り出した影を見詰めつる。リーフィスは言葉を促すように口を挟んだ。
「ファンスラウ様、敬語を使わなくても結構です。特に、私的な会話の時は」
「ならばわたしもユミアルと呼んで、リーフィス」
ふたりはそこで視線を合わせ、小さく笑った。
「はい、ユミアル様」
「ふふ――。あなたは、フェルクトさまをどう思っていらっしゃるの?」
「……変わった方です。少なくとも、わたしがこれまでお会いしたことのない種類の人だと思います」
「そうね。一般的な意味での神徒とは、大きくかけ離れた存在だわ、あの人は。でも、間違いなくあの人も神徒なの。本物の神徒であるとさえ言えるわ」
リーフィスの顔を覗き込むようにして、ユミアルは言った。真剣な瞳だった。リーフィスはこの種の瞳をよく目にする。それは崇拝だ。
「あの人の補佐をするということは、この世界の“闇”と対峙することなの。そこでは、口先だけの“救い”や“信仰”は意味を持たない。助けにならない。いえ、障害ですらあるわ」
「障害――ですか」
信じられなかった。正真教教会に所属する信徒の言う台詞ではないと思った。ユミアルの言葉は、救世母の否定にも等しい。
「言い過ぎかもしれないけど……。“闇”との戦いで求められるのは、言葉ではなく行動だから。あの人はいつもそう言っていた。審問官たる者の最大の責務は、困難な状況下で最悪の中の最善を選ぶことだと」
「最悪の中の最善……」
「今はまだわからなくてもいいわ。でも、それだけは忘れないで」
「――はい、ユミアル様」
正直、ユミアルの教えてくれていることは理解できなかった。その想いが表情に出ていたのかも知れない。ユミアルはくすりと笑って、リーフィスの肩に手を置いた。
「あの人のことで、色々と新しい発見があると思うわ。でも、絶対にあなたにとって悪い経験にはならないから」
「はい……」
ユミアルは足を止めて、リーフィスの背中をポンと叩いた。
「さ、先輩たるわたしが言えるのはここまで。あとはあなたの努力次第よ」
リーフィスは周囲を見回した。気づけば、もうマーテリア・シュトラッセ。聖救世騎士が門衛につく聖典庁本営は目の前だった。
「最後に、訊ねてもいいですか?」
リーフィスは顔を上げてユミアルを見詰めた。
「なにかしら?」
「……どうしてあなたは、そこまで司祭ヴェルンを――フェルクト様を信頼できるのですか?」
ユミアルは視線を聖典庁本営に向けた。しかし彼女の瞳は、そこではなく遠いどこかを見詰めているように見えた。
「――わたしは、あの人に命を救われたの。死が荒れ狂う地獄で。誰もが自分の身を守ることだけで精いっぱいだった、あの場所で。あの人だけが、わたしを助けてくれた。救ってくれた。聖救世騎士が言う、“気高き行い”。それを見せつけられた時、信頼と敬意以外の何が抱けて?」
「……不躾な質問をして申し訳ありませんでした」
「……ううん、いいわ。さて、しばしのお別れね」
ユミアルは小さく微笑んでリーフィスに向き直った。
「――フェルクトさまをよろしくね、リーフィス」
冗談めかして――だが、真剣な目でユミアルは言った。しかし一瞬後、頬を赤らめてうつむいた。その言葉は同僚という範疇を越えたもののように思ったようだ。しかし、リーフィスはそれを真剣に受け止めた。茶化そうとはしなかった。
「わかりました、ユミアル様」
力強く頷いて見せた。
聖典庁本営は、東西南北に配置された四棟と、中心に配置された塔で構成されている。東棟には聖典庁最大の部局である伝道局。西棟には列聖局と聖典局。南棟には預言局。北棟には信仰審問局。中央塔には総務局が置かれている。
西方暦三九〇年、第一〇代教皇“布教者”クラウディア・ヴァンデンベルグの勅命によって、寄進の会計管理・神徒の教育・“真実の書”の編纂、出版を担当する部署が創設された。その主たる目的は布教の補助だった(当初、最も力を入れていたのが“真実の書”の衆民向け出版であったため、『聖典局』と呼ばれた)。
西方暦五一〇年、拡大の一途をたどる(ハイデルランド地方南西部に正真教を定着させることに成功していた)正真教教会は、より円滑な教会の維持・管理のために官僚組織を必要とするようになった。第二四代教皇“定める者”アーシュラ・ドニ一世は実質的に正真教教会の財政を担当していた聖典局の権能強化を指示、五一五年に正式に教会の下部官僚組織として『聖典庁』を発足させた(この時設置されていたのは財政担当の総務局と布教担当の聖典局だけであった)。
一〇六〇年現在、聖典庁は直属人員だけで三〇〇〇〇余名を抱える世界最大の官僚組織として日夜活動している。ある意味においては、上級組織である正真教教会を凌駕する権能を保持していると言ってよい。
信仰審問局は、聖典庁が抱える六部局の中で最も歴史が浅い。創設は西方暦九五〇年、第三五代教皇“怜悧なる”イェカテリン・ナーゲルの勅命によって設置された。当時猖獗を極めた地方修道会腐敗化を食い止めるために、『救世母と教皇のみに忠誠を誓った』三〇名の強制執行官による聖典庁列聖局審問部が始まりである。拡大していく腐敗化に対抗するため、九六〇年には信仰審問局として独立し、その人員を増加させていった。
創設から一世紀経った一〇六〇年現在では、八〇〇名近い人員を抱えている。うち、執行官――背教者捜査・処罰を担当する信仰審問官は九八名に過ぎない。
しかし、その九八名が正真教教会において蛇蝎の如く忌み嫌われ、恐れられているのだ。
出頭を命じられたのは夕刻だったが、教皇官邸から直接信仰審問局本部に戻っていた。フェルクト・ヴェルンは、自分の席が(ほとんど使いはしないが)ある審判部の公室に入った。中は閑散としている。当然であった。その中にいるべき信仰審問官の大半は、常に正真教信仰地域において“巡礼”に従事している。この部屋に戻るのは、今のフェルクトのように特命でペネレイアに来た時ぐらいしかない。
ほとんど新品と変わらぬ机に腰掛けたフェルクトは、小さく溜息をついてから報告書作成に取り掛かった。
報告書作成は一時間ほどで済んだ。物事を客観的に見ることを得意とする――ほとんど異常人格と評してよいほど、自らを含めて現実を観察することができた――フェルクトは、この種の作業を常人以上の速度で進められる。
報告書をまとめ、直属上司――裁定官の机に置くと、フェルクトは別室に設けられている給湯室に向かい、手早くお茶を煎れた。
茶器を片手に机に戻ると、裁定官の机には一人の女性が腰掛けていた。
黄金色の短髪。野生の狐を想起させる、紫水晶にも似た輝きを放つ瞳。顔を構成する種々の部品は、天才的職人の手による技巧品を思わせた(芸術品とは違った、計算し尽くされたものを思わせた)。それでいてどこか、人間的な暖かみすら感じさせる。つまりはまごうことなき美女であった。
「おかえりなさい、フェルクト」
「マレーネ」
ほんのわずか、なんとか視認できる程度に目尻を下げたフェルクトは、彼女の名を呟いた。目前の美女の名はマレーネ。彼の直属上司――裁定官マレーネ・クラウファー司祭だ。
「この部屋にふたり戻って顔を合わせるなんて何年ぶりかしらね?」
「八年ぶりです。審問官に就任した時以来ですね」
茶器を自分の机に置きながら彼は答えた。驚くべきことだが、彼の声音には微量の喜びが含まれている。彼なりに、この空間を楽しんでいるのだった。フェルクトにとり、彼女はそういった私的な時間を共有できる数少ないひとりであった。
「わたしにもいただけるかしら?」
マレーネは彼の机の上に置かれた茶器を一瞥した。
「好みは変わっていませんか?」
「ええ」
フェルクトは素直に給湯室へ向かった。もう一度戻ってきた時には既に、マレーネは机に置かれていた報告書を読み終えていた。
「どうぞ」
「ありがとう……ケルバーは魔女の釜みたいね」
報告書をぽんと机に戻しながら、マレーネは茶化すように言った。フェルクトは自分の席に座ると答えた。
「実情に即した表現です」
「王立諜報本部の浸透は予想以上だわ。情報収集の強化というだけでは説明のつかない人員の増勢。ケルバー地区管理官はどう見ているの?」
管理官。教区・管区ごとに置かれる伝道局の伝道責任者のことだが、実情は諜報工作統括官――情報収集・諜報工作の総元締めだ。ケルバーは本来北方第三教区の管轄下にあるが、その重要性に鑑み特別に専任の管理官が配置されていた。
「大掛かりな行動の前触れではないかと」
「大掛かりな行動」
お茶を一口含んでから、意味ありげにマレーネは呟いた。悪戯っぽい笑みを浮かべて、フェルクトに告げる。「おいしいわ。腕は落ちてないようね」
「どうも……」
居心地悪そうに身じろぎしながらフェルクトは頷いた。
「宮廷魔導院と会合を持つ必要があるわね」
フェルクトは口を挟まなかった。彼は現場の人間に過ぎず、方針策定に属する事柄に何ら影響力を持たない。
「明日にでも、クライフェル司教と打ち合わせましょう」
クライフェル司教――ファルネーゼ・ヴァイシュライン・クライフェルは、伝道局に君臨する女帝であった。教区・管区のさらに上位に位置する方面――北方(エステルランド北部域〜ブレダ王国)・南方(エステルランド南部域〜エクセター王国)・西方(ブリスランド王国)――、そのうちの北方方面を担当する主任管理官として辣腕を振るっている。
「ところでフェルクト、ユミアルはどうしたの?」
口調をより親しげなものに切り替えて、マレーネは訊ねた。上司というよりは、情の深い姉のような口調だった。実際、プライヴェートにおける彼女とフェルクトの関係は姉弟のようなものであった。
「彼女はわたしの補佐の任を外れました」
「あら……そうなの」
意外そうにマレーネは言った。フェルクトのそばで懸命に補佐をしていた少女を脳裏に思い出していた。彼の信頼に値するような存在になろうと必死になっていた少女。
「彼女、悲しんだでしょうね」
「任務です」
平坦な口調でフェルクトは答えた。視線は茶器に向けられたままだ。しかしマレーネには、マレーネだけにはわかった。彼は落胆している。わずかに眉をひそめる。危険な兆候だ。審問官となる過程で心の奥底にひそませたはずの感情が、表層に浮かびかけている。それは彼にとっても、周囲の人々にとっても悲惨な結果を生むことになる。
「じゃあ、新しい補佐が入るわけかしら?」
「聖下からレイチェルウッド侯爵家の長女が就くと聞きましたが」
「あの“エシルヴァ”が!?」
マレーネは驚きのあまりお茶をこぼした。
「何を考えているのかしら……教皇聖下は」
レイチェルウッド侯爵家は名門であるとともに教会の有力者だ。俗世で言えば、王族に匹敵すると言ってもよい。そして審問局の任務は、常に生命の危機と無縁ではいられない。誰もがこなせる仕事ではなかった(否、選ばれた者のみの任務であった)。
派閥力学の結果か? マレーネは茶の馥郁とした香りを楽しむ素振りをしたまま考えた。
正真教教会(そして聖典庁)には突き詰めればふたつの派閥が存在する。腐敗を肯定する連中と、それを否定する連中(正確に言えば、肯定派、否定派もともに幾つかの派閥に分かれるが)。もちろん前者の方が勢力として大きい。.当然だ。誰もが安穏で怠惰な生活を送ることを夢見ている。それに抗うことはできない。後者はほんの一部。しかし、現教皇や信仰審問局、そして有力な神徒・信徒を取り込んでいるために力関係はどうにか均衡を保てている。もちろんレイチェルウッド侯爵家もその一派に属している。その娘が審問官の補佐に。ひとつでも間違えば、命を失う任務だ。もし“エシルヴァ”が死ねば――。教皇とレイチェルウッド侯爵家の関係は盤石とはいえなくなるだろう。否定派の地盤沈下は必至だ。教皇はそれをわかっているのか? それとも……。
それともそれを看過できるだけの、“何か”が彼女にはあるのか?
「マレーネ?」
物思いに耽っている時間が長かったためか、フェルクトが小さな声で彼女を呼んだ。
マレーネは小さく溜息をついて応えた。「なんでもないわ」
「そうですか」
フェルクトは追及しなかった。沈黙が公室を支配した。ふたりはその後何も喋らずに茶をすすり、しばらくした後にマレーネは退室した。
フェルクトはそこでしばらくお茶を楽しんだ後に席を立とうとしたが、公室に新たに入室してきた助祭に呼び止められた。局長付き補佐官だった。
局長がお呼びです、補佐官はそう告げた。気づけば、知らぬ間に時が過ぎていたのだった。
「掛けたまえ、司祭リーフィス」
リーフィスが聖典庁北棟――審問局本部を訪れると、そこには既に出迎えの補佐官が待ち構えていた。クーデルア審問局長がお待ちです。開口一番補佐官は告げた。はい、と彼女は応えた。
信仰審問局局長執務室は、そう言われなければ気づかないほど質素な造りだった。無機的かつ威圧的な雰囲気に満ちており、まるで告解室のようだった。告解室、言いえて妙だとリーフィスは思った。ならば聴罪司祭は――目の前の机に座る豪奢な金髪の枢機卿、マリア・ルテシア・クーデルア男爵夫人ということね。
勧めにしたがって応接用ソファーに腰掛けたリーフィスは、小さく会釈して挨拶した。
「御無沙汰しております、マリア様」
一瞬間を置き、それから苦笑しつつクーデルアは頷いた。
「そうだな、司祭リーフィス。それからわたしのことは局長と呼ぶように。少なくとも公式な場では」
「……あ、はい。申し訳ありません、クーデルア局長」
リーフィスは赤面しつつ言った。
リーフィスにとって、目前の枢機卿――“微笑む狂信者”と呼ばれ、正真教信徒から恐れ嫌われる信仰審問局局長は忌避の対象ではなかった。どちらかといえば、親愛の対象であった。
クーデルア男爵家は、バルヴィエステ王国貴族の中で突出した存在だと言ってよい。
与えられた封土はバルヴィエステ王国北西部の小さな地域に過ぎないが、天然の良港を支配下に治めていたために活発な交易によって王国随一の経済力を誇っている。その豊富な税収を背景にした正真教教会への寄進額は王国一、二の規模だった。そのため教会に対し代々、非常に大きな影響力を持つことで知られている。同じく教会に大きな影響力を持つレイチェルウッド侯爵家とも積極的に交流しており、王国貴族の中では昵懇の間柄と言ってよかった。
「司祭フェルクトについて教皇聖下から何か聞いているか?」
“氷の刃”とすら形容されるほど怜悧な性格として知られていたクーデルアにしては珍しく、優しげな口調でリーフィスに訊ねる。彼女は(少なくとも罪のない)子供に対して審問官の態度をとるほど性格異常者ではない。
「優秀で、希少な存在だとおっしゃっていました」
「まあ、希少な存在ではあろうな」
クーデルアは頷いた。
「戦闘司祭としてはすこぶるつきの腕前だ。教会格闘術の師範級。正直わたしも驚いたよ、彼が貫手で重猟兵の甲冑を貫いた時は。あの肉体で、世の中に存在する大抵の物体を破壊するのだからな」
「はあ……」
正直リーフィスには想像できない言葉だった(彼女は戦いというものをその目で見たことが無かった)。
「まあ、彼の本質は戦闘能力そのものではない。その性格だ。いいか、わたしからの忠告だと思って聞くがいい。フェルクト・ヴェルンは救世母に満腔の忠誠を捧げている化け物だ。教会が作り上げた、“闇”に対抗するための殺戮者だ。リーフィス、君はこれからの巡礼で彼に対する見識を深めていくだろう。そして彼の態度、行動に感銘や信頼、尊敬の念を深めていくかもしれない。それは仕方ない。審問官の行動原理は、救世母の使徒として生きることだからな。だが、絶対に心を通わせてはならない。助祭ユミアルは補佐の任を解かれたのもそのためだ。審問官に心の温もりを与えてはならない。それは彼らの弱点となるのだ。今はそれを理解しなくてもいい。だが、絶対に忘れるな。彼らを人間ではなく、物のように扱え。審問官を闇との戦いで使う道具のように思え。それが、審問官に対してとるべき唯一の態度だ」
長い忠告だった。クーデルアはそれを恥じるように顔をわずかにうつむかせると、机に置かれたケースに手を伸ばし、中から細巻を取り出した。点火芯で火を付け、胸一杯に香り高い煙を吸い込む。バルブレット産のものらしい。もちろんリーフィスにはそこまでわからなかったが。
誰恥じる事無き神徒であるクーデルアの唯一の欠点は、恐らく教会随一の愛煙家であることだった。
リーフィスは花のように愛され、育てられた少女に相応しい潔癖さで金髪の枢機卿の忠告に反感を覚えた。人を物のように扱えなどというのは正真教神徒(いや、人間として)のとるべき態度ではないと思った。
「怒っているな、司祭リーフィス」
微笑みを浮かべてクーデルアは言った。
「その純粋さは褒めるべき資質だ。フェルクトとともに旅を続けた後もその態度をとれれば、貴公は教会の次代を担う神徒となれるだろう。しかし、大半の者は、驚き、怒り、恐れ、ついには諦めとともに現実を受け入れたのだ。繰り返して言うが、今は理解しなくても良い。忘れなければ良いのだ」
リーフィスが反論しようと口を開きかけた時、執務室の扉が叩かれた。
補佐官が、審問官ヴェルンが参りましたと告げた。
「では、改めて紹介しよう」
クーデルアが紫煙を吹き出しつつ言った。表情は煙で見えなかった。
リーフィスは、やがて彼女の忠告を悔恨とともに思い出すことになる。