聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
第一章 凍てる戦争
01『戦況』
西方暦一〇六〇年までのハイデルランド地方の戦略的概況 ツェルコン戦役は開戦劈頭の稲妻を想わせる展開が嘘のように停滞していた。
西方暦一〇五六年七月。これまでの通例を無視した戦略規模の奇襲攻撃――挑戦状なしでの侵攻――によってハウトリンゲン公国をわずか二か月で制圧したオクタール族は、冬の訪れとともに進撃を停止した(これは当初の計画通りの行動であった)。オクタール族長ツェルコン――ガイリング二世はハウトリンゲン公国領土を併合しブレダ王国の建国を宣言、同時にエステルランド神聖王国王位を要求しこれを拒否された場合は軍事力の行使もやむを得ずという事実上の宣戦布告をおこなった。
エステルランド国王ヘルマン一世は、当然要求を拒否した。十二月中旬には諸侯会議を招集し(王国全土の諸侯が参加する王国聖俗諸侯会議ではなく、ケルファーレン・ミンネゼンガー・ヴィンス・アイセルの四大諸侯会議)、正真教教会教皇の同意を得て、対ブレダ王国戦争を決定。神聖王国軍の戦時動員を始めた。
十二月二九日。エステルランド神聖王国特使が返答を渡し、宣戦を布告。歴史はこの時をもってツェルコン戦役が開戦したと記録している。
しかし翌一〇五七年は、比較的平穏な一年であった。エステルランド神聖王国は、その年の大半を戦争準備に費やさねばならなかったし、ブレダ王国はハウトリンゲン侵攻戦で失った国力――戦争物資、兵員など――の回復を行わねばならなかったからである(もちろん、小規模な威力偵察部隊によるケルバー、ケルファーレン、ミンネゼンガー国境域での小競り合いは数限りなく行われたが)。
先に攻勢準備を終えたのはブレダ王国だった。一〇五八年三月にはハウトリンゲン侵攻戦で活躍した第二騎兵軍、第四騎兵軍の再編成を終え、春の訪れとともにミンネゼンガー公国への攻勢を開始した(王国自由都市ケルバーへの侵攻は政治的に難しいと判断され、ケルファーレン公国への侵攻は、大河で知られるキルヘン川の渡河が戦術的に困難と判断されたために中止された)。しかし、騎兵部隊が主力であるブレダ遠征軍は不慣れなザール川強襲渡河に手間取り、またミンネゼンガー公国軍の決死の逆襲によって進軍が遅れに遅れ、侵攻後二か月で二つの中規模な橋頭堡をザール川対岸に築いただけであった。
なんとか編成を終えたエステルランド神聖王国近衛軍(王室の勅命で編成した部隊の名称。本来の意味における近衛――王室親衛隊とは違い、戦時動員された部隊に与えられる。士気がけして高くはない強制徴募兵によって編成されているため、士気高揚のために“近衛”の名称が冠せられている)八個騎士団――とはいっても近衛軍は一個騎士団のみで、残りは金でかき集めた傭兵軍だったが――と、ミンネゼンガー公国軍残余兵力による全力反攻によって橋頭堡は壊滅させられ、遠征軍は撃退された。その後も冬が訪れるまで三度にわたる大きな攻防が繰り広げられたが、ブレダ王国軍は最終的にミンネゼンガー公国に侵攻することはできなかった。
そして、一〇五九年。エステルランド神聖王国はようやく動員が本格化し、常備兵力と同程度の予備兵力を揃えられた。しかし、それらの兵力はまず消耗したミンネゼンガー公国軍の充当に当てねばならず、まだまだ効果的な反攻を行うだけの戦略予備の構築は難しかった。当然のように、エステルランド神聖王国における戦時軍事統帥機構・王国軍令本部は当面の方策として守勢防御戦略を策定。編成が完結した新規騎士団を次々とミンネゼンガー公国国境域に移動させた(ケルファーレン公国への派遣は、当面必要なしと判断された。キルヘン川への侵攻は行うまいという判断からだった)。また、純粋な軍事的判断から軍令本部はケルバーへの騎士団派遣を検討したが、ケルバー城伯リザベートはそれを拒否した。軍隊駐留をブレダ王国が侵攻の口実とすることを警戒したのだった(しかしリザベートがより警戒していたのは、駐留軍の軍事力を背景にエステルランド神聖王国に実質的支配されることであった)。やむなく軍令本部は、ケルバーより南西三〇キロにあるフィーデル川沿いの城都市クランベレンに駐留させ、ケルバー方面への機動防御用兵力とした。
また、リザベートも極秘裏にケルバー自警団(城伯領であるケルバーは、最大旅団規模までの部隊を独自に編成することを許されていた。ただし、この時代において最強の戦闘兵種である騎兵を持つことだけは許されていない)の強化を始めた。これはブレダの侵攻だけのみならず、エステルランド神聖王国の武力併合にも対抗するためだった。
一方ブレダ王国は、ミンネゼンガー侵攻戦の失敗から、陸路以外での攻勢を中止することを決定した。オクタール族はもともと騎馬民族であり、騎兵による突破攻勢こそが本道であるからだ。強襲渡河は余りにも軍事的冒険に過ぎ、奇襲渡河が困難であるのならば(エステルランド神聖王国軍は、一〇五八年の間にザール川一帯に哨兵網を作り上げていた)――ケルバーを経由するほかはない。
しかし、ブレダ王国首脳部は河川交易の結節点として商人たちの拠点となっているケルバーを攻めることは、戦争経済の面で問題を起こすと判断した(実際、ケルバーに本拠を置くラダカイト商工同盟はツェルコン戦役開戦と同時に、両国首脳に「ケルバーへ武力行動をとる国家に対して、あらゆる手段を用いて対抗措置を行う準備がある」と宣言している)。
ガイリング二世の盟友たるマンフリート商会当主、ハインリヒも、ケルバーへの武力侵攻だけは避けるよう進言していた。商人たる彼は、ラダカイト商工同盟を敵に回す愚を充分以上に理解していたのだった。結果、戦争の主導権を握っていたブレダ王国は軍事攻勢を一時中断し、外交工作による戦略的優位を構築することを当面の目標に決定した。その工作対象はケルバー・ブリスランド・エクセターの三カ国だった。特にブリスランド王国、エクセター王国への外交工作は戦争の趨勢を大きく変えるものと期待されていた。
エステルランドも、それを見過ごすつもりはなかった。ブレダ王国の外交工作に対する妨害はもちろんのこと、諜報活動の強化を決定した。それはつまり、彼らの唯一の同盟国家、バルヴィエステ王国――正真教教会が蠢き始めたことをも意味する。
表向き血を伴わぬ熾烈な情報戦争――「凍てる戦争」が開始されたのだ。
そして、一〇六〇年。歴史は、大きな転換点を迎えることになる。
(サルモン・フィースト著『ハイデルランド興亡記第3巻』より抜粋)