聖痕大戦外伝 《剣を継ぐ者》 "ARMAGEDDON" Another stories - "Inherit the Sword" < PREV | NEXT > [ARMAGEDDON] 3『マスター』 従者の願い マスターは今までにないマスターでもあった。 あの常人ならば吐き気すら催すだろう邂逅からしばらく、マスターは人として当然の混乱に見舞われていた。 幾星霜の連なりの運命に従え、と突然に言われて混乱を来さないひとなどいない。それが、今までの生き方を否定するような運命であればなおのことだ。 血で血を洗う戦が生業の傭兵から、万物を護る防人へ。 わたしという存在はマスターにそれを強要した。それが因果律がもたらす必然だったとしても、ひどい運命だと思う。 だから、最初の頃のマスターを悪く思ったことはない。むしろ、よく耐えられたと思っている。 護れ、良き者を、良き物を。 言うのは易い。しかし、何をもって良きものと判別するのか。判別したものは果たして本当に良きものなのか。その責任を負うということは、字面が与える善性とは異なり、重たく辛い。でも、防人は、ヴァハトは、それを為さねばならない。 ヴァハトであるがゆえに。 わたしはその重さを理解はできても共感はできない。わたしはただの道具だから。責任を負うことなどないから。やはりひどい運命だ。 マスターに変化が訪れたのは、出会ってから一〇五日目のことだった。 最初は、言葉遣いからだった。いかにも傭兵らしい野卑な言動が控えめなものになっていった(一人称までが変わった時には少し驚いたものだ)。その次に態度。刺々しさが抜けていくのに、さほど時間はかからなかったと記憶している。最後に、性格。 マスターは、わたしが望むように変化していった。 初めは驚いた。そして嬉しく思ったものだ。マスターもやっとヴァハトの宿命を理解し、納得してくれたと。 だが、それは違った。 確かに、マスターはヴァハトの魂を自覚したかのように“良きものを護ろう”としてくれる。 放浪の旅の中、ヴァハトとして《哀しみの兵器》を封印し、防人として時々に出会った“良きもの”を護り、刻まれし者として闇を払う。 マスターはそれを着実に果たしていった。何か一つを行う度に、始祖ヴァハトに近づいているようにわたしには思えた。 でも、本当にマスターは“ヴァハト”として行動しているのだろうか? なら、 どうして、マスターは時折とても辛い顔をするのだろう。 どうして、マスターは時折寂しそうな顔をするのだろう。 どうして、マスターは時折泣きそうな顔をするのだろう。 どうして、マスターは時折とても虚ろな顔をするのだろう。 どうして、どうして、どうして。 それを知ったのは、わたしとマスターにとっての最初の“任務”――エミリアさんを警護する旅の途上のことだ。 竜伯とナインハルテン女伯より依頼された、防人の一族としての仕事。 ひどい旅だった。バルヴィエステ王国――正真教教会の機密存在である霊媒を追って来たのは、聖典庁伝道局警護部と信仰審問局審判部の審問官たち。この世界で恐らく最も洗練された戦闘集団だったと思う。 ケルバー付近に到着するまで一瞬も安心できなかった。追跡をまくために、強行軍や野宿を幾度も重ねた。 その頃だ。 初めて、わたしはマスターが悪夢に苛まれていることを知った。 マスターはそれまで、わたしにそんな側面を見せてはくれなかった。 夜営での呻き。憐れさすら誘うようなその苦しみに満ちた寝顔。許しを乞う呟き。 悪夢は、あの邂逅の情景なのだと、気づいた。 そして理解した。 マスターは、ヴァハトの宿命に従っているのではない。 ただただ、あの時の贖罪のために生きているのだと。 マスターにとっての“ヴァハト”とは、目的ではなく手段なのだと。 衝撃を受けなかったとは言えない。哀しかったのかも、しれない。 マスターはヴァハトとして行動しているのではなく、ヴァハトを演じていたのかもしれないという可能性に思い至ったことはわたしにとって、それほどのことだった。 でも――マスターがヴァハトであることに間違いはない。それは違えようのない真実だ。そして、わたしがマスターの剣であることも。 それでいいのだと気づいたのは、随分経ってからだったと思う。 < PREV | NEXT > [ARMAGEDDON] |