聖痕大戦外伝 《救済の定義》 
 "ARMAGEDDON" Another stories - "Final Solution"


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 2『状況』

 三月一五日
 ローブルシュタット/アイセル司教領
 
 ザモラを伴い本部天幕に戻ったフェヒカイトは、奥にある遮幕で区切られた小さな会合室へ彼らを誘った。従兵に珈琲を運ばせ、一同が一息ついたことを確認する。
 
「現在、ローブルシュタットには何者も近づけません」
 文民がいるため、フェヒカイトの口調は極めて丁寧なものになっている。
「何故ですか」
 ロスヴィータが即座に訊ねた。当然だった。彼女はここに人命を救いに来たのだ。少なくとも、主君たるハンネ・ローレ・グリルパルツァーからはそのように命じられたはずであった。傍観するためではない。
「汚染されているからです」
「汚染。何か毒物でも?」
「ある意味では。既に二九名の聖領軍兵士が死亡しています。村民については全くの不明です。なにしろ、情報をもたらすべき兵どもが既に死亡しているので。……ああ、我々はアイセル司教より要請を受けた教皇聖下の勅命により、当地へ派遣されました」
 その点については、ロスヴィータは何も言わなかった。アイセル司教領とバルヴィエステ王国が深い関係にあることは、ある程度の政治知識がある者にとっては公然の秘密であるからだった。
「つまり何もわかっていないと」
「ローブルシュタットに、何か人を死に至らしめる原因が存在しているということ以外は」
 痛みを堪えるような表情のまま、フェヒカイトは頷いた。徳の高さでは人後に落ちぬことで知られる聖救世騎士の風評に違わぬ態度であった。
 しかしロスヴィータはそれを素直に受け取らなかった。軍人――なかんずく将軍という人種は、表面だけで性格を判断することができないからだ。
「現在、我が部隊の療務隊が聖領軍兵士の遺体を調査しています」
「わたしも参加させていただけませんか?」
「そのお気持ちだけで。少なくとも、相手が何なのか、その一部だけでも判明するまではお待ち下さい。軍事的に申すならば、あなたは尖兵ではなく予備隊なのです。勝負を決める一撃を放つ部隊なのです。それを御了承下さい」
 物のわかった人間の理性的な言葉に逆らうことは難しい。ロスヴィータは己もまた理知的であろうとする人間であるがゆえに彼の言葉を了承した。
「では確認だけを。彼らはどのような症状を発症したのですか?」
「報告によれば、まず倦怠感をともなった頭痛、咳、嘔吐。次いで異常な発熱、意識障害、吐血、下血等の出血の症状が出るそうです」
「その初期段階から次の段階までの間隔は?」
「最初の兵士は村を出た三日後には意識障害に陥った聞いています」
「そんなに早く!?」
 ロスヴィータは呻くような声でいった。単純な病ではないことは自明だった。潜伏期間が異様なまでに短すぎた。何か未知の流行病なのかと推測する。
「もちろんその日数が平均値なのかどうかは不明です。もしかしたら、人によってはもう少し期間が長いかもしれません。ただ言えることは、罹患した場合、何も手を下さずにおれば絶対に死ぬということだけです(いや、病とはそういうものかもしれませんが、と彼は付け加えた)。推定される事態発生時期から、今日で六日目です。可能な限り迅速に対処しなければなりません。そのために、あなたがたの力を貸していただければ、これに勝る喜びはありません」
「もちろんです。わたしは療師です」
 ロスヴィータはそれが理由になるとでも言いたげに即答した。フェヒカイトは本心からの微笑みを浮かべた。彼はこの種の人間を好んでいた。
「まことにありがとうございます。遅くとも夕刻までには調査結果が上がるはずです。それまでは天幕を用意してますので、そちらでお休み下さい。もちろんガーゲルンガイガー殿も御一緒にどうぞ」
 フェヒカイトは丁寧に一例した。
 
 ヴェルナー中尉に誘われて、天幕群の外れに設けられた彼女たちのための天幕に向かう途中、ロスヴィータはどこか不審そうに辺りを見回していた。周囲には、忙しそうに立ち回る兵士たちがいる。
「どうした、ローザ」
 ザモラが訊ねた。療務道具一式が詰め込まれた吊り下げ鞄を携えているロスヴィータは、小さく眉をひそめながら応えた。
「いえ……どうしてこんなに物々しいのかと思って。ざっと見ただけでも一〇〇〇人以上はいるようだけど……随分な大軍じゃない?」
「聖救世軍は、図体がでかい」
 ザモラは応えた。どこか自慢げに続ける。
「基本的に師団(神聖王国でいう騎士団だな)は二万人規模で編制されているのだ。神聖王国軍とは異なり、一つの完結した部隊として行動させるためにあれこれと支援部隊も組み込んでいるからな。それを考えれば、この部隊は小さいほうだと思うぞ」
 ちらりとロスヴィータは彼女を一瞥する。「詳しいのね?」
「ぬ。そ、そうか……? いや、まあ、なんだ、私も騎士として他国の軍制に関する造詣を深めようと日夜努力を惜しまずにだな……」
「そうね、あなた騎士様だったわね」
 ロスヴィータは矛を収めた。直情径行を地で行きすぎるザモラは小さく息をつく。嘘は苦手だった。
 しかしザモラ自身も、腑に落ちない点があった。何故このような僻地の村に聖救世騎士団が派遣されてきたのかということについてだった。
 聖救世騎士団は、聖救世軍から選抜された精兵によって構成される《聖剣》・《聖槍》・《聖盾》教皇警護隊からなる特別部隊で、編制規模も通常の師団の倍以上にもなる(総勢六五〇〇〇――他国ならばかなり大きな軍団規模に相当する)。指揮系統も聖救世軍統帥本部から外れ、教皇親率――真の意味で教皇直属の私兵であった。
 彼らは聖戦発動時、つまり教会の存亡を賭けた戦争にのみ出撃すると言われるほどの“切り札”であるはずだ。言ってはなんだがこのような僻地の村の出来事ぐらいで出張るにはあまりにも似合わない。牛刀で鶏を裂くという比喩すら追い付かない。
 イーヴァインファルツで雑草を刈るようなものだ。もっとわからないのが部隊編成。マックスが引き連れてきたのは制式部隊ではなく選抜編成された戦闘団だ。騎兵の数が多すぎる。騎兵は完全に攻撃的な兵種で、救援活動に役に立たないとは言わないが不釣り合いにすぎる。捜索か突撃にしか使えない部隊で一体何をしようというのだ。
 これは、後でマックスに聞いてみる必要があるな。ザモラはそう思った。脳裏に、先程フェヒカイトが浮かべた陰鬱な表情を思い出す。ろくでもないことが起きているのかもしれぬな。もしそれが、教皇聖下の名誉を汚すようなことであれば……我が命に代えても、止めてやる。
 
 客人たちを見送ったフェヒカイトは、本部天幕の仕切られた自室に再びこもった。ひっきりなしに細巻を吹かしている。彼らしくなかった。落ち着きのない態度だった。
「畜生め」
 呟く。本来ならば生娘の幻想を具象化したような容貌には、暗い影だけが落ちている。悲痛な表情とすら言えた。
 奴らが関るとろくなことにならない。救援? 救護? 馬鹿らしい。くそったれめ。
 
「俺は罪を背負うために聖救世騎士たるを誓ったわけではないのに」
 しかし、命令は確実な遂行を指示している。どうしようもない。どうしようもないのだ。
 俺はあの女に従わざるを得ないのだ!


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