聖痕大戦外伝 《救済の定義》 
 "ARMAGEDDON" Another stories - "Final Solution"


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 1『包囲網』

 夜/西方暦一〇五八年三月一四日
 ローブルシュタット/アイセル司教領南部/エステルランド神聖王国
 
 ――偉大なるアー、救世母、ならびに神権地上代行者たる教皇聖下に誓う。
 我が能力と意思と名誉に従い、この誓約を守らんことを。
 戦術と戦略を賜りたる上官を我が親のごとく敬い、我が糧食を分かって、求めなくとも其を助くべし。戦友は我が兄弟なり。
 学ぶことを欲すれば報酬無しにこの術を教え、あらゆる方法で勝利の知識を我が戦友、我が部隊、信頼にて結ばれたる友軍に分かち与え、其れ以外の誰にも与えぬと誓う。
 意思の限り友軍に利する行動をとり、悪しき有害なる作戦を決してとらぬと誓う。
 誘いある時も戦友を死に導く行動をとらず、覚らせず、敵を勝利に導くすべての手段を与えぬことを誓う。
 偉大なるアー、救世母、教皇聖下の御名にかけて虐殺・略奪・無意味な暴力に与せず、其を業と為すものは呪われるべし。
 いかなる戦場を訪れる時も其はただ友軍を利するためなり。
 女と男、兵士と衆民に隔てなく、あらゆる法を遵守すべし。
 軍務に関すると否とに関らず、軍機は秘守せらるべし。
 誓いを守り続ける限り、我は生涯の軍役を楽しみ、生きてすべての人から尊敬さるべし。
 勇気と忠誠をもって我が生涯を貫き、我が軍務を行うことを誓う。
 もしこの誓いを破りしものは、兵の名誉なき死を賜るべし。
 ――聖救世軍人誓詞

 
 ◆ ◇ ◆
 
 聖典庁聖典局が発行する地図にローブルシュタットと記された村から、五キロほど離れた丘に巨大な天幕が設置されていた。その周辺にも数多くの天幕群がまるで集落のように林立している。実際、この丘の周囲で動き回る人々の総数は村の人口を遥かに凌駕していた。
 最も巨大な天幕――本部天幕には白地に深紅の救世母十字の紋章が記されている。
 それは正真教教会の軍――聖救世軍であることを示していた。さらにその下には固有の部隊識別章。教会印の下で交差する剣。知らぬ者などいないはずであった。
 それは、聖救世軍の別称ともなっている最精鋭部隊――聖救世騎士団の印なのだから。
 
 聖救世騎士にして聖救世軍男爵騎兵少将、マクシミリアン・オイゲン・フォン・フェヒカイトは先程からずっと押し黙って、図台に置かれた地図を見詰めている。三〇代半ばという年齢に相応しい、適度に渋味がまぶされた整った容貌には陰が落ちていた。疲れ切っているのであった。もちろん、他者に悟られるほど態度に出してはいない。聖救世軍軍人――そして聖救世騎士である以上、己の弱さを他者の視線にさらけ出すことは絶対にできなかった。
 少なくとも任務を遂行している時、彼らは超人であらねばならなかった。
 そう在ることを望まれているからこそ、救世母と教会と衆民は彼らに絶大な権限を与えている。
「部隊配置を確認しました、閣下」
 外套を着込んだまま、視察から戻ってきた首席参謀が白い息を吐きつつ報告した。たくわえられた髭がわずかに凍っている。暦は春の到来間近であると告げてはいたが、だからといって冬が終わったわけではない。
 フェヒカイトは丁寧な発音で応じた。
「御苦労。従兵、珈琲だ。二つ。濃くしてくれ」
 彼は従兵が飲み物を配する合間に帯箱から細巻を取り出し、首席参謀に示した。首席参謀はありがたく受け取ると、まず上官の細巻に、それから自分の細巻に火を付けた。そのわずかな間に髭の強張りは解けている。天幕内に置かれた複数の火壷は、それなりの効果を発揮していた。
「問題はないな?」
 珈琲を置いた従兵に軽く頷きつつ、フェヒカイトは訊ねた。首席参謀は従兵に外套を渡しつつ頷いた。
「村を囲むように、二重の警戒線を。各小隊は哨兵を四名ずつ、二時間交替で出しています。篝火も絶やさぬよう厳命してあります。……状況が情報通りならば、村から出てくることなど無理だとは思いますが」
「我々は内部を見たわけではない」
 厳しい声音ででフェヒカイトは言った。「確認するまでは、命令を完璧に遂行せねばならん」
「はい、閣下」
 首席参謀は取り繕うように頷き、珈琲を啜った。顔をしかめる。珈琲というよりも薬のような苦味だったからだ。おまけに火傷しかねないほど熱かった。話題を変えようと口を開く。
「あちらの状況はどうなっていますか?」
「先刻、騎馬伝令が到着した。明日の昼前にはこちらに着く」
「神徒とはいえ、他国の者です――よろしいのですか」
「わたしが聖下より賜った勅命は、彼らを救うことだ。
 そして、そのための全権を与えられている。問題はない。それに、この件に関しては司祭殿も了承されている」
「司祭殿が。それならば大丈夫でしょう」
 安堵の溜息を漏らしつつ、首席参謀は紫煙を吹き出す。
 彼は司祭という単語を“悪魔”と同義語であるかのように発音していた。その様を見てフェヒカイトは唇の端を歪めた。皮肉そうな表情だった。もちろん、それはすぐに打ち消した。
「そういえば、その司祭殿はどちらに?」
「休んでおられる。明日、同僚たちが来るとのことだ」
「彼らも人員を派遣するのですか。いや、まあ確かにこれは彼らの本分でしょうな」
「そうだな。貴様も休め。我々の派遣期間は長くはないだろうが、一瞬も気を抜けないはずだ」
「閣下こそお休みください」
「聖救世騎士ともあろうものが、部下だけを働かせて眠ってなどいられるか」
「……四刻になったら、わたしが代行致します。よろしいですね」
「――――わかった。ありがとう」
 首席参謀は瞳に敬意の輝きを込めつつ、一礼した。
 
 時刻は、日付が一五日になってから七刻後。
 天幕群の外れから馬の嘶きが響いた。三刻ばかりの仮眠を取ったフェヒカイトは、その声を個人天幕の中で聞いた。剃刀を当てていた彼は、手早く無精髭を剃り終え、表に出る(服装はそのままで仮眠を取っていたため、着替える時間は必要なかった)。
 本部天幕前の広場に、馬車が止まっている。頑丈な見掛けの馬車の側面は泥だらけであった。かなり急いで夜通し走ったらしい。馬車の扉を開く御者の顔は、かなり疲れている。
 馬車から降り立ったのは二人の女性。一人は純白の長衣を着た女性、もう一人は胸甲を装備した大柄な女性だった。フェヒカイトはざわめく兵どもに業務に戻るよう命じつつ、彼女たちの前に歩み寄った。ちらりと馬車の側面にある紋章を一瞥する。
 エステルランド神聖王国の国章と、その横に伯爵家の紋章が記されていた。
 彼は、閲兵式にこそ相応しい敬礼を行い、手を差し伸べた。
「御足労いただき恐縮です、ロスヴィータ・ガイスマイヤー先生。小官は当地における部隊指揮官、マクシミリアン・フォン・フェヒカイト男爵騎兵少将です」
「いえ、構いません、フォン・フェヒカイト将軍」
 ロスヴィータと呼ばれた長衣の女性は、慈性と理性の均衡が取れた容貌に儀礼的な微笑みを浮かべつつ、握手をした。
「人命に関る事態だと伺いましたので。快く許可を下さったグリルパルツァー伯爵閣下にこそ謝意を示していただければ」
「もちろんです、ガイスマイヤー先生。グリルパルツァー伯爵には後日、教皇聖下より感謝の意が表されるでしょう」
「状況について伺いたいのですが」
「後ほど。まずは体をお休め下さい。お口に合うかはわかりませんが、飲み物はお出しできます。ヴェルナー中尉! ガイスマイヤー先生を本部天幕にお連れしろ。それから、御者殿を休憩所に」
 フェヒカイトはそばに控えていた本部付きの将校に命じ、ロスヴィータを本部天幕に案内させた。それを見遣り、振り返る。彼の前には大柄な女性が残っていた。フェヒカイトはわずかに微笑み、砕けた発音で言った。
「久しいな、ザモラ。いや、ガーゲルンガイガー大佐。壮健で何よりだ」
「うむ、久しぶりだなマックス。貴公も相変わらず辛気臭い顔だ」
 ザモラと呼ばれた大柄な女性は握手や敬礼もそこそこに、将軍に対する言葉遣いとは到底思えぬ口調で言った。しかし声音にはそれほどきつい響きはない。
「相変わらず海賊のようだな、その眼帯は。まあ似合っているが」
 苦笑を浮かべつつフェヒカイトは言った。ザモラの左目はまさに絵物語の海賊のように眼帯で覆われていた。彼女はかつて、ここよりももっと南方の戦場でそれを失った。
 彼女はフェヒカイトと面識があった。もっと平たく言えば旧知の中であった。彼女、ザモラ・アーニタ・ガーゲルンガイガーは任務上エステルランドに派遣されているものの、聖救世騎士なのだった。バルヴィエステに戻れば、《アーシュラ・ドニ》第七聖救世猟兵師団第二旅団長の座が待っているほどの軍人でもある。そしてロスヴィータはそのことを知らない。
「世辞はいらん」
 ザモラの口調に変化はない。年齢差、階級差、礼則などものともしない彼女らしい態度であった。そのことについてフェヒカイトは言及することを諦めている。
 ペネレイアにある聖救世兵学院で生徒隊総隊長を務めていた頃、言葉遣いに関する教官や助教の修正(軍隊における修正は体罰を意味する)に頑として応じなかった彼女を見ていたからだった。
 彼女は表面だけの態度の表明を唾棄しているのかもしれないとフェヒカイトは推測している。すべては行動で示すべきだ、と考えているのだろうとも。もちろん考えすぎであった。
「正体は露見していないな」
「問題ない。私はあくまでアイセル司教領出身の騎士ということになっている。こちらへ来たのも、伯爵閣下が地理案内と護衛のために付けたに過ぎぬよ」
「わかった。状況はかなり逼迫している。貴様にもそれなりに手伝ってもらうことになるかもしれん」
「了解した」
「覚悟しろ。敵は剣技でどうにかなるものではないのだ」
 フェヒカイトは朽ちた井戸を覗き込んだような表情を浮かべ告げた。ザモラは、その表情を彼がなぜ浮かべるのかわからなかった。
 
 


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