聖痕大戦外伝 《救済の定義》 "ARMAGEDDON" Another stories - "Final Solution" < PREV | NEXT > [ARMAGEDDON] 3『仮称罹因体〈フラム〉』 三月一五日夜 派遣団本部天幕群 正真教教会司祭(第一位司祭)テアノ・プロンティノスは、天幕群の最も外れにある天幕から数刻ぶりに外に出た。療務用の白長衣(手元までぴっちりときつめに覆われている)の所々にはどす黒い赤みが染みている。掌も薄手の革手袋で覆われていた。こちらは半分以上がどす黒い赤で彩られている。天幕の外に待機していた法衣姿の助祭が歩み寄り、慎重な手付きで手袋を外した(彼女たちの手も革手袋に覆われている)。白長衣も、女王に仕える侍女のような動作で脱がせる。 テアノは緊張を解き、大きく溜息をついた。外気の寒さがありがたかった。 彼女の全身は汗にまみれている。白長衣の下には、正真教教会が規定する通りの三種略衣――神徒としての平服、純白の法衣が着込まれていた。それも汗にまみれている。 当然だった。療学的な防護措置に加え、《解毒》と《病魔克服》の〈祈念〉が施されてはいても、けして安心できるものではない。彼女が取り扱っているのはそれほどのものであった。 助祭が手拭を差し出しつつ訊ねた。 「やはり、予想通りでしたか」 「ええ」 テアノは、美術館に収蔵されるべき絵画に相応しい完璧に過ぎる容貌をつたう汗を拭いながら応じた。 「では、計画通りに」 「そういうことになるわね。将軍には話も通っていることですし」 助祭たちは一礼し、慎重という言葉では足りぬほどの動作で手袋と白長衣を扱い、それを気密性の高い革袋にしまいこんだ。 テアノはそのまま、本部天幕群の中心に向かう。 恐怖とも憔悴ともつかぬ表情を浮かべた首席参謀が入室した。フェヒカイトはそれだけですべてを察した。頷く。 首席参謀が退室し、代わりにテアノが入室してきた。 「司祭殿」 平坦な声音で彼は言った。 「何か御用でしょうか」 敬語を伴った言葉。そしてそれを当然のように受け止める彼女。それが二人の関係を端的に表わしていた。 聖救世軍将校。誰劣ることなき聖救世騎士。男爵。であるからこそ、彼は教会神徒であり女性であるテアノをどこまでも敬意をもって扱わねばならない。 テアノは断わりもなく向かいの席に座った。フェヒカイトは失礼に聞こえぬ程度の溜息をつき、従兵を呼んだ。 「何か飲まれますか?」 「お茶があれば」 「従兵、珈琲と茶を。珈琲はいつもの濃さで。茶は」 「少し薄めにしていただければありがたいのですけど」 「薄めに。急げ」 飲み物はすぐに運ばれた。二人は申し合わせたように一口ずつ啜った。フェヒカイトは断わりを入れ、細巻をくわえた。驚いたことにテアノも細巻を所望した。彼は細巻入れを机に置くと、彼女の側に滑らせた。 テアノは細巻をくわえ、照明代わりに置かれている燭台に顔を寄せ、火を付ける。 「あなたも煙草を呑まれるとは知りませんでした」 「戒律とは歯止めであって、枷ではありません」 美味そうに細巻の香りを楽しみつつ、テアノは応えた。「それを誤解なさらぬよう」 「驚きです」 フェヒカイトは点火芯で細巻に火を付けつつ言った。 「預言局の人々はもっと戒律に対し厳しいと聞いていましたからな」 「傾向としては確かに」 テアノは微笑んだ。 「しかし、何事も重んじすぎて良いことなど何一つありません」 「常識ですな」 「常識。そうですね。常識という概念を保持できるならば、戒律に頼る必要もありませんわ」 「あなたが常識を口にするとは」 「驚きですか?」 「まさに。今回の作戦は常識を大きく逸脱しているのでは」 「それは今回、あなたに与えられた命令に対する反対意志の表明なのでしょうか?」 テアノは微笑みを浮かべたまま訊ね返した。直視されれば誰もが魅了を覚えるであろう瞳は、笑っていない。 「まさか」 フェヒカイトは背筋を伸ばした。 「個人的な意見にすぎません。わたしは一度与えられた指令に抗命するつもりはない。それが聖救世軍将校として、聖救世騎士として救世母と教皇に忠誠を誓った者の“戒律”なのだ」 怒りのためか、言葉の後半は敬語を忘れている。 「それでこそ衆民の聖盾。教会と祖国が誇るべき聖救世騎士ですわ。安心いたしました」 テアノの微笑みがより強くなる。フェヒカイトはどこか恥じ入るように顔をうつむかせ、中程まで灰になった細巻を吸殻入れに押し付けた。誓いとは口にするものではなく、行動で表わすべきものだと彼は考えていたからであった。 「検死は終わったのですね」 フェヒカイトは話題を切り替えた。テアノの訪問の目的はその報告だろうと見当を付けている。 「ええ」 テアノは根元まで吸いきった細巻を吸殻入れに捨てる。彼女はフェヒカイトの細巻き入れから新たな細巻を手に取り、火を付けた。燻らせる。 沈黙が空間を支配した。耐えきれなくなったフェヒカイトも再び細巻をくわえる。火を付けた。いつもなら気を楽にしてくれるブリスランド産のマジェスティの豊かな葉の味が、どうにも不快に感じられた。 「どうなのですか」 詰問口調でフェヒカイトは再び問うた。 顔面に感情は浮かんでいないが、内心では憔悴しきっていた。彼女の返答如何で、悪行に手を染めるのか否かが確定するからだ。しかし、テアノは細巻の味を楽しむように紫煙を吹かしている。ただ柔らかな笑みだけを浮かべて。 畜生。これだから預言局の人間は。フェヒカイトは内心に荒れ狂う暴風そのままに、悪罵を叩き付けた。 テアノ・プロンティノス。預言局療務部研究官。第一位司祭。聖救世軍統帥本部総人務局から経由されてきた資料によればそうなっている。それが嘘だということも知っている。一研究官ではない。彼女こそが、療務部の主席研究官――実質的な支配者なのだ。療務部。療学の発展のための研究機関。だからこそ原因不明の疾病が荒れ狂うこの地に派遣されてきた。本当なのか? 信じられない。あまりにも大事に過ぎる。教皇領や大管区での出来事ならばまだわかる。だが、いかにアイセル司教領とはいえ、ここは他国の領土。ここまでの面倒を背負う理由がわからない。畜生。俺が考え過ぎなのか。教会はこの事態を、単純に聖救世騎士団や預言局を投入してでも解決すべきだと判断しただけに過ぎないのか。いや、そんなことはどうでもいいのだ。俺が問題にしているのはただ一つ。 無辜の民を見捨ててしまっていいのかということだけだ。 答えろ、プロンティノス。どうなんだ。衆民の盾たるべき聖救世騎士団は、その義務を果たすのか。それとも。 「間違いありませんでした。 〈フラム〉。この疾病の原因は仮称罹因体〈フラム〉です」 素っ気無いとすら形容できる声で、テアノは告げた。 「救世母よ」 囁くようにフェヒカイトは呻いた。 〈フラム〉。炎と散文的な仮称が与えられた罹因体。三年前に突如バルヴィエステ南部辺境域で発生した流行病の原因。空気感染し、その伝染力は非常に強力。未だに治療法はない。その事実ゆえに、存在を知るのは教会上層部と預言局、聖救世軍の一部のみ。この罹因体が発生した場合にとるべき方法は一つしかないとされている。 「明後日には作戦を開始していただきます」 「――神聖王国からの派遣療師はどうします?」 フェヒカイトが訊ねた。ロスヴィータたちのことだ。テアノは笑みをさらに大きくした。 「もちろん明日に村へ入ってもらいますわ。そして、手を施しようがないことを確認してもらい、そのままお帰りいただきます」 端からその予定ではありませんか、とテアノは続けた。この“作戦”しか方法はない、ということの証明をアイセル司教閣下は欲しておりましたもの。 「ガーゲルンガイガー大佐はどうしますか。 彼女は硬骨です。事実を知れば何をしでかすかわからない」 「ああ、あの〈一つ目〉女騎士殿。命令でけりはつけられないのですか?」 「彼女は、抗命罪など毛ほども気にはしませんよ」 フェヒカイトは唇の端を歪めた。笑いというにはあまりにも複雑な形であった。 「ならば勅命であることを示すほかありませんわね。大佐に関しては将軍にお任せします」 「……承りました」 くそったれめ。フェヒカイトは侮蔑の表情を顔に表さないように抑制しつつ思った。聖救世軍内で処理しろということか。 となれば結果は決まっている。聖救世軍の軍律が定める抗命罪への対処法はただ一つ。 死罪。 彼女がこれまで抗命罪を犯しながらも罰せられなかったのは、彼女の行いが独断専行と抗命のぎりぎりの境界線上にあったからだ(つまり、結果的に彼女の取った行動を追認した。実際に命令に従うよりもよりましな結果を彼女はもたらし続けてきたからであった)。しかし、今回の作戦は独断専行を許容する命令の幅はない。厳密な遂行が求められている。となれば、ガーゲルンガイガーが抗命した場合――テアノは、俺の手で彼女を斬れと命じているのだ。 しかし、どうしようもない。〈フラム〉ならば確かに“作戦”を行うほかない。 フェヒカイトはそう自分に言い聞かせた。 友誼よりも、勅命を優先することこそが、聖救世騎士なのだ。 そのことを、彼女も理解してくれるだろう。 そのはずだ。 (つづく) < PREV | NEXT > [ARMAGEDDON] |