聖痕大戦 "ブレイド・オブ・アルカナ" アナザーストーリー
Another Stories of "Blade of Arcana" Extra ARMAGEDDON
聖痕大戦外伝《彼女らは来た》
■ 01『積荷』
二月一〇日トリエル河川港/王国自由都市ケルバー/エステルランド神聖王国北部
トリエル湖は今日も大混雑、まさに交易都市の面目躍如とでもいうべき光景である。
行き交う大型交易河船、その合間を行き交う艀、港に接岸して荷物を下ろす中型河船、あるいは個人所有のヨット、自由都市ケルバーの都旗を掲げて辺りを睥睨する水上保安隊の警備艇。それは雄弁に、この都市が何をもって生きているかを語っている。
そんな、平和であると同時に活発なその情景に異世界から来たかのような外観の河船が割り込んできた。
ひどい見かけだった。舷側の一部は焼け焦げ、巨大な前檣帆は嵐にあったかのように破れている。漕走用の櫂は幾つか折られ、甲板に上がっている水夫のほとんどが包帯姿だった。
それはまるで、戦場をくぐり抜けてきた水軍の船のようにも見える。
船尾に掲げられている船籍旗は王国自由都市《ロイフェンブルグ》のもの。彼らの姿を認めた水上警備艇が、素早く河船の周囲を囲んだ。警戒ではなく、それは護衛のためだった。周囲を航行する船に乗り込む水夫たちは物々しい雰囲気を感じ取ってか、あるいはどこかしら不気味さを感じ取ったのか、奇異なものを見るかのようにその交易河船を見遣った。
その船を見ていたのは水夫たちだけではなかった。ゆっくりとした漕走でこちらへ向かってくるそれを、港務部の監視塔から遠眼鏡で確認している人物がいた。
外見だけを見るならば実に整った容貌の美女だった。水夫服に似せた仕立ての短衣を着、可憐というよりは美形であり、そうでありながら纏う雰囲気は実に妖艶――そんな複雑な空気を放つ者などケルバーには一人しかいない。
「手酷くやられたものね」
ラダカイト商工同盟監察官、ジョーカーは遠眼鏡で河船の外観をさっと眺めると、舌打ちしたげな声音で呟いた。
「山賊にでも襲撃されたのでしょうか?」
ジョーカーの傍らで遠眼鏡を構えていた港務部の当直班員が言った。プラウエンワルト・アルプス周辺域に出没する山賊団の中には、河川を行き交う交易河船を襲撃する者も少なくないから、彼の判断も当然のものである。
「お馬鹿さん」
ジョーカーは悪意のない声音で彼の判断を否定した。「独立商人の交易船ならともかく、ロイフェンブルグの旗を掲げた河船を襲う勇気がある山賊なんているもんですか。あの辺り一帯で最も武力がある都市なのよ、あそこは。それにあの舷側の焦げ痕、あれは火矢なんてちゃちなもので付いたものではないわ。恐らくは腕のある魔術師か元力使いの仕業でしょうね」
当直班員は港務部にある台帳を手に取り、頁をめくった。「ロイフェンブルグ船籍……〈聖バンアレン〉号ですね。積荷は――おかしいな、記載されていない」
「ああ、いいのよそれで」
ジョーカーは手をひらひらと振った。「何のためにワタシが出張っていると思うの?」
「え……では」
「ええ、税関は通らせないわ。あなたも変に勘繰らないほうがいいわよ」
にっこりと微笑む。「好奇心は猫も殺すっていうしね」
その凄惨なまでに美しくも怖い微笑みに、当直班員はただ頷くことしかできなかった。
「御苦労様でした、バレルシュミット殿下」
「ああ、苦労したぞジョーカー」
接岸した〈聖バンアレン〉号から伸びるラッタルの途上で、恭しく一礼するジョーカーに苦味を強めた笑みを浮かべロイフェンブルグ伯爵姫クリスティアは頷いた。
「貴公の忠告がなければ、彼奴らの襲撃に備えることが出来ずに、荷を奪われていただろうよ」
「それほどのものでしたか?」
「ああ」
クリスティアは忌々しげに手を打ちあわせた。
「ザールを下る途中で四度襲撃された。魔法攻撃、衝角戦、白兵戦、何でもござれだ。護衛艇が二つやられた。死者が出なかったことが幸いだったが……。それにしてもなんという連中なのだ。ジョーカー、本当に彼奴らの狙いは“これ”なのか?」
「はい、殿下」
ジョーカーはさらに深く、まるで舞台上の役者のような仕草で一礼した。
「まことに恐るべきことに、彼女たちはただ“これ”を奪うためだけに戦いを挑んでいるのです」
ジョーカーはラッタルから岸壁の光景を見下ろした。釣られるようにクリスティアが視線を移した。その先には、甲板の中ほどから伸びる貨物搬送用の傾斜路を行き交う水夫どもがいる。彼らは木箱を抱えていた。彼らの周囲にはケルバー《竜牙》連隊から派遣された衛兵が間断なく警戒している。
その様子を眺めたジョーカーはにこりと微笑んで書類挟みの紙にサインを入れ、それを渡した。
「では確かに受領いたしました、クリスティア・ロッフェルン・バレルシュミット殿下」
「ラダカイトに渡ってしまったな」
舟遊びを楽しむ貴婦人が、まるで貴婦人らしからぬ口調で毒づいた。大仰なドレスに日傘を持つ彼女は、その傘の下でオペラグラスとは到底言い難い高倍率の遠眼鏡を覗いている。
向かいに座る侍女――少なくとも侍女の服装をした少女が頷いた。
「情報が漏れています。審問局だけならばともかく、ラダカイトにまで……教会は本気のようですね」
「畜生め」
貴婦人は再び毒づいた。
「同志の集結状況はどうなっている?」
「ザール方面の同志は二日以内にケルバーへ到着予定です。本隊は既に都市内外で待機しております」
よどみない侍女の報告に、貴婦人は口許を歪ませた。笑っている。
「――長かった。長かったよ、ここまで来るのは」
遠くの〈聖バンアレン〉号を見遣る貴婦人の横顔は、船ではなく、どこか別の世界を見ているようだった。侍女は礼儀正しく沈黙を保っている。貴婦人が返事など望んでいないことを理解しているのだった。
「我々は再び行動する。己の想いに忠実に。希望と光のために」
侍女は舵を手に取り、舳先を桟橋へ向けた。
「各班長に集合命令だ、同志。目標を奪取するぞ」
貴婦人は遠眼鏡をしまい込んだ。侍女は頷き、応えた。
「はい、審問官クウォール」