■ 設定資料:正真教教会
【正真教教会――救世は我が手に】
「世界を変革するのは、信仰ではない。権威でもない。ましてや武力でも。これら三つを母と娘と光の位格の如く体現する、ただ教会のみである」
――第十二代正真教教会教皇ウルスラ・ヴォルフェンルート
「どんな国でも、上層部が愚かでは滅びてゆく。今のエステルランドのように。でもあの旧き大国はまったく違う。大抵の教皇、枢機卿たちの無能は、巨大な教会という組織が打ち消してしまう。あの集団の恐ろしさはそれなのよ」
――ブリスランド王国女王パトリシア二世
◇ 沿革
聖救世軍の項でも触れたが、正真教教会の起源は救世母の信徒――巡礼始祖の一派である(もう一派は聖救世騎士団へと拡大していった)。
武に走った真徒たちと異なり、彼らは純粋に救世母の教えを伝道することに専心した。宗教者と形容すべき彼らの中には商人なども含まれており、その組織化は実に迅速に行われた。西方暦五〇年頃には、小規模ながらも正真教教会の原型といえる組織――まだ名称はなかった――が形成されている。とはいえ、救世母を失った彼らは(
聖救世騎士団が当初は“規律正しい野盗”に過ぎなかったように)単なる地方の一新興宗教組織に過ぎなかった。
そのような彼らが西方暦三〇〇年にバルヴィエステ王国の国教へ――その伝道母体となった経過については諸説がある。その中で最も妥当かつ有力なのは地道な伝道活動により信者が増加したため、便法としてバルヴィエステ王国王室が統治に利用した、というものだ。しかし他にも、それこそお伽話にこそ相応しい説(真徒の一人を当時のバルヴィエステ国王が見初めた云々)から悪意に満ちた説(王室に関する醜聞を掴み脅迫した、など)まである。しかし真実となると定かではない。当時の記録が存在しないからである。ただし、手掛かりになりそうな事実から演繹される推測がひとつある。
少なくとも正真教教会創設初期(西方暦三二〇頃まで)には当時の記録が公文書館に保存されていたらしい。喪失した時期を考えると、〈聖王闘争〉――神権派と王権派の権力争いの道具として用いられたのかもしれない。そして権力闘争の一つとして用いられるからには……という可能性は捨てきれない。何にせよ真実は闇の中、である。
◇ 組織の拡大
バルヴィエステ王国国教化から後、正真教教会の組織は拡大の一途を辿ることになる。信仰地域が広がったためであった。この信仰拡大運動は〈聖王闘争〉に勝利した結果のバルヴィエステ王国の掌握、私兵軍としての聖救世騎士団強化が要因の一つであることは否定できない。武力を伴った(表向き神徒護衛のために付けられたのだが)伝道活動は、荒っぽくはあったが着実に信仰域を拡大させた。西方暦七五〇年前後には、ハイデルランド地方南部(現エクセター王国域)にまで正真教を浸透させることに成功している。この頃には、ほぼ現在と変わらぬ(規模はやや小さいが)教会組織を成立させている。
*注:ハイデルランド地方全域を信仰域にしようとする一大信仰拡大運動――北方大布教は、結局成功を収めず、正真教信仰への萌芽を残しただけであった(これが後の金色外套王の正真教帰依の遠因となった、という研究もある)。
◇ 階位制度
聖救世軍が階級制度を取り入れる遥か以前に、正真教教会は“階位制度”と呼ばれる実質的な階級を導入していた。
これは正真教の教義――「人は修練を積み、転生を繰り返すことによって神へと近づく」をそのまま当て嵌めた制度であった。修練を積めばより高い徳を得、高い徳を得たのならば、教会の上位へ進むべき……ということである。
教会の規模が小さな頃は、すべての神徒の階位の任命を教皇が執り行っていたが、西方暦一〇六〇年現在、枢機卿・一部の大司教の任命のみを教皇が執行し、下級神徒の任命については教皇庁人務本部で行われる。
現在、教会において定められている階位は以下の六つである(教皇は階位ではない)。
枢機卿:
神徒が到達出来る最も高位の教会階位。定数は二五名。教皇直属の諮問機関、枢機卿会議に参加できる。役職として正真教教会の指導部である祭務会議の一員、教皇庁・聖典庁の長官職、重要な大管区の教令指導者がある。任命は教皇自ら行われる。
大司教:
大抵の神徒にとっての頂点。大管区・管区教令指導者、各庁の上級ポストなどが役職として与えられる。定数は八四名。任命は教皇自ら、あるいは祭務会議
の人務担当祭務官が行う。
司教:
能力があれば到達出来る階位。管区教令指導者、あるいは地区首席教令官、各庁の管理官クラスのポストが役職として存在する。定数は五四八名。ほとんどの神徒は、司教まで階位が上がれば満足せねばならない。任命は教皇庁人務本部が行う。俗に言う上級神徒は司教位までを指す。
司祭:
大半の神徒はここで一生を終える。実質的に三つのクラスに分かれ(制度上その分類はない)、司教位へ上がることが許される第一位司祭、司祭位で終わる第二位司祭、助祭から昇位した者がまず任命される第三位司祭がある。現場での行動は彼ら司祭位の者が行う。任命は各大管区・管区人務部長によって行われる。定数というものは設定されていない。地方修道院院長から各庁下級ポストまで、多岐に渡る役職が存在する。司祭位までが神徒と呼ばれる。
助祭:
信者が教会へ属した際にまず任命される階位。軍で言う候補生、あるいは見習士官に相当する。役職というものは存在せず、現実面では信者とさほど変わらない。もちろん定数はない。
信徒:
正真教への帰
依を表明し、洗礼を受ければ得られる。司祭が任命する。教会への奉仕の意欲があれば、助祭へ昇位できる。
◇ 世界最大の組織
ハイデルランド地方南西部のバルヴィエステ王国、さらには地方南部のエステルランド神聖王国をも実質的に(宗教として)支配する正真教教会の規模は巨大というほかない。
実際どの国家の行政組織と比べてもその図体は大きく、組織としても手堅く、洗練されている。
そう、あまりにも正真教教会は巨大すぎるため、その権能を三つに分けざるを得なかった。後世の組織論の中で、それらは“指揮、管理、実働の三位一体”と呼ばれることになる。
1:教会指導部(指揮)
教皇を頂点に祭務会議、祭務会議事務本部、枢機卿会議が教会の本体に相当する。教会のすべてを支配している。
祭務会議は教皇を輔弼し、首席祭務官、伝道担当祭務官、人務担当祭務官、軍事担当祭務官といった祭務官七名が存在する。彼ら祭務官は他国でいう国務大臣に相当する。
枢機卿会議は祭務会議とは違い、指揮権を持たない。祭務官に任命された者(これには教皇庁長官、聖典庁長官、祭務会議事務本部長も含まれる)以外の枢機卿八名によって構成され、教皇に対するあらゆる助言を行う諮問機関である。
祭務会議事務本部は祭務会議の下部に置かれた官僚組織である(事務本部長は枢機卿)。
2:教皇庁(管理)
実質的に正真教教会の中枢といっていい組織。祭務会議下位の行祭(行政)組織で、祭務会議で決定した政策に基づきバルヴィエステ王国領内の各大管区・管区の管理、さらには正真教エステルランド修道会との連絡(実際には管理をも)を担当している。バルヴィエステにおける宗教的内務省に相当しているといえるだろう。なお、俗に“正真教教会”と称されるのは教会指導部+教皇庁の祭政機構である。教令本部、人務本部、律令本部、管理本部、信徒本部、警衛本部、教育本部、外国本部と内政に関連した部署が数多く存在する。特に教皇庁警衛本部はバルヴィエステ領内の宗教警察活動の総元締めであり、聖典庁審問局とは別の意味で恐怖の対象となっている。なお教皇庁長官は枢機卿位役職。
3:聖典庁(実働)
教皇直下の実働組織。教皇庁に比べると行政よりは祭務(宗教要素)が強い組織といえる。どちらかといえば対外的な業務が多い。規模自体は教皇庁よりも小さいが、その異名は諸外国に響いている。伝道局、列聖局、聖典局、総務局、信仰審問局、預言局が傘下にある(説明は割愛する)。聖典庁長官は枢機卿位役職。ただし、現在は特例でもって信仰審問局長にも枢機卿が任命されている(本来は大司教役職)。
◇ 正真教教会組織図(簡略)
非常に簡素化したものだが、概念は理解していただけると思う。
↓←←←←←←←←正真教教会教皇→→→枢機卿会議↓ ↓ ↓ (諮問機関)
↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓
聖救世軍 ↓ 教会祭務会議→→→祭務会議事務本部
統帥本部 ↓ ↓(国家戦略策定)↓ (事務管理)
↓ ↓ ↓
《教皇の特命・》↓ ↓《・通常の命令 ↓
↓ ↓ 系統・》↓
↓ ↓ ↓
→聖典庁 教皇庁
(対外実働) (内政管理)
↓ ↓
(寄進徴収・会計)総務局←←↓ ↓→→教令本部(行政管理)
↓ ↓
(伝道・諜報)伝道局←←↓ ↓→→人務本部(神徒人事)
↓ ↓
(祭儀管理)列聖局←←↓ ↓→→管理本部(寄進管理)
↓ ↓
(出版・記録)聖典局←←↓ ↓→→信徒本部(信者採用)
↓ ↓
(背教者捜査)審問局←←↓ ↓→→警衛本部(治安維持)
↓ ↓
(聖典解析・研究)預言局←←↓ ↓→→教育本部(宗教観)
↓
↓→→律令本部(法務)
↓
↓→→外国本部(連絡調整)
etc.……
*天慧院は指揮系統上に存在しない。あくまで資金を出資しているに過ぎないからである。ただし、予算面の影響力を背景に一定の発言権を保持している。また、バルヴィエステ国内の学芸院は教皇庁教育本部の指導下にある。